国語読解力は、あらゆる学力の基礎。問題集読書の復読と、読解検定の自主解説で確実に力がつく
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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

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   生と死   すみすみ

 人は手を解放し物を持たせ、言語を発達させることによって急速に強い立場の生き物になっていった。事故や病気で死ぬことはあっても、狩られて死ぬことはまずなくなったわけである。そのことによって人間の中での「狩、狩られる感覚」がなくなり、死は不幸とイコールで結ばれるものだと認識するようになった。しかし、野生動物は常に死と隣り合わせの生活の中で濃密な生の時間を生きてきた。死もまた個体を超えた大きな自然の一部分であるという境地を見ている。近代の宗教などの思想が目指しているのも、この精神に通じるものがあるのではないだろうか。(要約)
 死とはいわば人生の「締め切り」である。それはいつくるか解らないが、常に隣り合わせで、いつきてもおかしくないという状況は日常ではもはやほとんど無い。そのために、「ねばならない」状況が減ってしまったのではないだろうか。締め切りが無ければ原稿は書かない。この理由もそれと同じである。日常で死を意識出来なければ、無いも同然である。死に直面するとしたら、それはあまりにも非現実的なことだ。例えば不慮の事故など。事故などというものは、本来本人が意識しようとしまいと起こるものは起こるし、それは誰でもどこでもあり得ることである。しかし、到底日常で意識出来るレベルではない。しかも、そんなことを一日中気にするほど暇ではない。「締め切り」が来てしまえば結果がどう不出来な無いようであれ、自分の人生にある程度納得して死んでいくしかないわけである。
 「締め切りはいつにするか解らないけど、納得いく作品を作ってね」
とか
 「いつになるか解らないけど、テストをするから良い点を取れるように頑張って勉強しなさい」
とか言われているのと同じである。「いつになるか解らないけど・・・」などといわれていて、勉強にも執筆にも身が入るわけが無かろう。締め切りも予定日も見えないから、どんどん物事が先送りされていって、「ねばならない」はずなのにやらなくなってしまう。 そこが野生動物や狩猟民族と現代人の違いなのである。野生動物たちは常に「締め切り」の隣にいる。それを意識している。だから、今やりたいことを、やらねばならないことをちゃんと選び取って着実にし、死んだときも多分悔いは無いはずだ(データは無いので解らないが)。現代人は、先送り先送りで締め切りが来て、「あああれをしておくべきだった」だの「なぜしなかったのだろう」と後悔しながら死ぬわけである(これも多分だが)。確かに、あれもこれもと追われて生きるのはいやだという考えもあるだろう。しかし、生きることとは本来常に何かに追われている状態なのではないだろうか。「生きることは、死なないことではない。」という言葉がある。本当にその通りだ。生きることは何かをすることだ。自分の確固たる意志を持って、所詮は無理なことかもしれないが、出来たら悔いのない死に方をしたい。
 

   講評   kamo

いい清書ができました。
今年、新しい環境でいろいろ経験しながら、よくがんばったね。
また新年も元気にやっていきましょう!

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