国語読解力は、あらゆる学力の基礎。問題集読書の復読と、読解検定の自主解説で確実に力がつく
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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

小学1・2年生   小学3・4年生   小学5・6年生   中学1・2・3年生   高校1・2・3年生

   死は突然に   うのた

 正しい死は目前に死を置いた濃密な時間の中のドラマによって用意される。普段死を意識していない私たちは、死の存在をもっと身近に置いても良いかも知れない。
 理由そのー、現代人は平和ボケしている。というと言いすぎだが、武士の時代や戦争のあった時代、人々は明らかに我々よりも数段死を目の前にする事が多かったはずだ。しかし、だから彼らはかえってその襲いかかる死から必死に生きようとし、まるで野生動物のような有意義な生活を営む。だが、我々現代人は常に死を思うということはまずない。それ故に毎日を危機感に身を守る必要性が欠け、生き生きさが昔の人と比べれば足りないと思う。ある目的を成し遂げようにも、死を目前にするのとそうでないのとでは異なる。そして更に我々は、日常の平和にたまに訪れる危機、つまり死などがとても恐ろしいものと化するのである。
 理由その二、死の存在を身近に置くことで死を防ぐ。つまり、死を警戒することになるのである。人生の最後を迎える場所はとあるデータによると病院と診療所での死が約80パーセントらしい。まあそんなものだろうと思うところだが、死の直接の原因が起こるのが病院であるとは限らない。つまりいつ倒れるかわからない、だからこそ、普段死を警戒していればその分死を防げるのである。ポケットに常に解毒剤を入れていれば助かる事がある。
 と、以上の理由で毎日「明日死ぬかもしれない」と思って生きようと心掛けるのが良い、と言いたいがおそらく大変である。確かに大変でまず不可能なのだが、死を普段全く意識しないのもどうかと思う。「上天気の日に、嵐のことなど考えてもみないのは、人間の弱点である。」という名言があるように、日常的で平和な日々に死をなかなか考えないのも人間の弱みではだいだろうか。

   講評   sugi

よく推敲してコンパクトにまとめたね。短くしても、内容の濃さは元の文にまったくひけをとらないのには感心しました。よくがんばりました。

毎日を危機感に → 毎日危機感を持って
生き生きさが…足りない → …生き生きとしていない

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 しかし、子供たちの実力はそれぞれ個性的です。上手に書けている子の作文を見せて、自分の子供の作文と比較しないようにお願いします。

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