国語読解力は、あらゆる学力の基礎。問題集読書の復読と、読解検定の自主解説で確実に力がつく
国語読解力は、あらゆる学力の基礎。問題集読書の復読と、読解検定の自主解説で確実に力がつく。

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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

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   自然と人間が一緒に生きるために   しっぽ

 農業は人間の文化だと考えられている。しかし、それはただ人間が恣意的に自然をねじ曲げているだけなのである。気にいった部分だけを抽出することのみを文化的とすることで、自然をコントロールしているような気分になるのだ。私は、自然を支配しようとするのではなく、自然に対して謙虚になりたいと思う。
 その第一の方法に、自然と私達との関係をよく考え、知るということだ。人間は昔、自然から最低限の生きる糧を与えてもらい、自然と共存していた。しかし、現在ではどうだろう。人間は恩恵を受ける自然そのものを自分たちの支配下におこうとしている。ある時、学校の授業で怖い映像を観た。植物の品種改良について勉強している際に、参考資料として先生がビデオを流したのだ。まず、きれいなトウモロコシの葉が出てきた。『これは、人間が品種改良を行ったトウモロコシです』そこにやってきた一匹の虫。虫はトウモロコシの葉に止まった。『この虫は、トウモロコシを好み、食い荒らすので害虫とされています』次の瞬間、その小さな虫はパッと画面から消えた。葉から落ちたのだ。『トウモロコシの葉をかじった虫は死んでしまいました』淡々とした解説が入り、画面には無傷の青々とした葉が風に揺れていた。害虫によってトウモロコシの質が落ちてしまうので、虫がトウモロコシを食べられないように品種改良したのだ。確かにトウモロコシは綺麗なまま出荷できるが、その外見の美しさに惹かれてそれを買った私達はどうなってしまうのだろう。虫が即死してしまうのに、私たちの体に良いはずがない。自然界には生き物の循環の輪がある。それを保っていたから自然界は安定していた。その循環の中の一部分でしかない人間が輪を断ち切るような真似をすることが許されるはずがない。自分たちの能率のために都合のいいように「改良」することで、結局しっぺ返しをくらうのは私たち人間自身である。(体験)
 また、第ニの方法に、自然に直接触れるということである。まだ化学などがそんなに発達していなかった時代、昔の人たちは身近に生えている草を混ぜて薬にしていたという。(伝記?)困っているときに自然から助けをもらうと、自然のありがたさが余計に身にしみるだろう。
 確かに、人間の暮らしは昔とは比べものにならないほど発達し、昔の人と同じように生活していたのでは需要と釣り合わないので、自然の支配を試みるということは仕方のないことかもしれない。しかし、その限度をわきまえなければならない。「人は食べるために生きるのではない。生きるために食べるのである」という名言があるように、本質を見失わないようにすることだ。私たちがなんのために自然を利用するか、そのために自然をなるべく傷つけず、有効に使う方法を見つけ、本当に自然と共存するということの意味を見つけられたらいいと思う。

   講評   jun

 第一の方法に実例をたっぷり書いたために、二つ目の方法とのバランスが悪くなってしまいましたが、学校で見たビデオの話は印象的ないい実例ですね。「その循環の中の一部分でしかない人間が輪を断ち切るような真似をすることが許されるはずがない。」とは本当にそのとおりだと思います。
 第二の方法にも、もう少し長く実例を書けるとよかったね。伝記実例は具体的な人名を示してほしいところ。ヒントにはファーブルの例がありましたが、ほかにも自然から多くを学び仕事に生かした人がいるはずですよ。
 本質を見失うべきではないということでまとめた結びも説得力があります。私たち人間は、自然との関わり方をもう一度見直してみる必要がありそうですね。

▲「私達」→「私たち」
                               

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