国語読解力は、あらゆる学力の基礎。問題集読書の復読と、読解検定の自主解説で確実に力がつく
国語読解力は、あらゆる学力の基礎。問題集読書の復読と、読解検定の自主解説で確実に力がつく。

昨日2426 今日871 合計53207
作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

小学1・2年生   小学3・4年生   小学5・6年生   中学1・2・3年生   高校1・2・3年生

   分からない本は読まなくていい!?   キティ

分からない本は読まなくていい!?

 テレビが普及しても本を読む人はきっと少なくならないだろう。娯楽としてのテレビと映画はたいへんよく似ている。見るほうが受け身で、すわっていれば画面のほうがこちらを適当に料理してくれるからだ。本を読むのにはいくらか読む側に努力がいる。しかし読む速さをこちらが加減することもできるし、つまらぬところを省くこともできる。要するに本を読むときのほうが、読む側の自由が大きいということだ。どうすればたくさんの本を読んで、それをわかることができるだろうか。答えは簡単だ。自分のわからない本はいっさい読まないということ、そうすれば絶えずいろんな本を読むことができるだろう。そうすれば読んだ本は確実に分かるようになるだろう。(要約)

 私も本を読んでいて分からない言葉、字を飛ばしてしまう。分からないところを避けているのだ。人間は限られた時間しか生きることができない。八十歳まで生きるとしたら七十万八百時間しか生きることが出来ないのだ。この限られた時間の中、自分が分からないことにいつも手を出して調べることは出来ない。時間が足りなくなってしまうだろう。このことからみんなは結局自分が得意なことにしか集中することが出来ないのだ。
 テレビ番組を見て、このテーマに付いてもっと知りたいな、と思うことはよくある。たいがいみんな本を手に取り、調べるだろう。私の母はドラマが終わると、すぐその女優、俳優が何歳だかインターネットで確認している。今の時代は何かを知りたい時に本ではなくインターネットで調べているのだ。

 私の本棚には大人用の難しい本が何冊かある。ある夜、私はその一冊の本を読んでみることにした。『目に見えないけれど大切なもの』という題名だ。この本は私が2002年の夏に、日本に行った時、裕子先生にプレゼントしてされた本だ。開いてみると、字がぎっしりと書いてある。私は難しいそうだな、と思い本棚の難しい本コーナーにそっとしまった。二年という月日が流れた。やっとこの長文をきっかけにこの本を読んでみることにした。この本は本来心にぽっかり穴が空いた時に読む本だ。私には元々穴が空いていなかったため、意味が分からないところが多かった。『ぞうさん』と書いてあるページがあったので、ぞうさんの話しなのかな、と思った。しかしよくよく見てみると、そこには『ぞうさん』ではなく『ぞうきん』と書いてあった。このぞうきんには、むくいを知らず、台所のすみに小さくなっているぞうきんになりたい、という意味が込められていた。今の私には、難しすぎるので、もう少し大人になったら読みたいと思う。それにしても単純な『さ』と『き』を間違えるなんて、この本を読む資格はないなと苦笑いしてしまった。

 私は元々本をあまり読まない。私にも本のページをワクワクしながらめくっていた子供の時代があった。今ではテレビのリモコンのスイッチをワクワクしながら押している。やはりテレビの方にひかれているのだ。
 (分からない本は読まなくていい。)この長文の作者は意外なことを言っている。これを聞くと少しほっとする。この言葉を胸に、これからも色々な本を読んでいきたい。

   講評   yuu


 そうですか……。難しい本リストの中に「目に見えないけれど大切なもの」があるのですか(^_^; 
 本を選ぶとき、迷いに迷ったことをなつかしく思い出しました。マリアちゃんがお腹をかかえてげらげら笑ってしまい、一気に読破しない本をあえて選んだのでした(^o^)/ なるほど。私の狙い通りだったということですね(^-^)
 『ぞうきん』は私もそのときに読みました。じわじわと心に響くものがありました。私たちはいつも「ぞうきん」の気持ちなど考えていません。「ぞうきん」なんていらない存在のようにも思っているものです。けれど、この「ぞうきん」に頼りながら生活しているものです。みんなの考える「一番大事なもの」にはなれないけれど、感謝もされていないけれど、その役割を全う(まっとう)している「ぞうきん」のことを思い出します。
 昔私が中学生だった頃、国語の先生が言っていた言葉があります。「面白い本にも、面白くないところがあるよ」。この意味が分かりますか? よくテレビドラマなどでは「これからが肝心のいいところ!」でまた来週〜!となりますね。視聴者が一番楽しみたい場面でその回が終わるものです。「一番面白いところ」があるなら、そうでもなところ、普通、があって当然です。しかしそれらは、「一番面白いところ」までの大事な過程であったり伏線(ふくせん)であったりします。本も同じです。始めから終わりまで、ずっと力の入った面白い場面ではありませんね。私たちはこの「一番面白いところ」までを我慢しているのです。我慢した人にだけ本当の楽しみは与えられるのかもしれません。(少々オーバーでしょうか……)
 テレビや映画など映像の世界は受動的と言えそうです。何もせず、何も考えずとも、必ず面白い場面に辿り付きます。特別な我慢も必要ありません。ただなんとなく画面を見つづけていればいいのですから。
 自由に本を選べる私たちは、とても幸せな時代にいるのですね。


▲直してみましょう!
三段落「何歳だか」 → 「何歳であるか」・「何歳なのか」(言葉の選び方を変えてみるだけで、すっきりとまとまりますね。)

毎月の学年別「森リン大賞」作品集森リンの丘 
 自動採点ソフト「森リン」で上位になった作文を掲載しています。
 しかし、子供たちの実力はそれぞれ個性的です。上手に書けている子の作文を見せて、自分の子供の作文と比較しないようにお願いします。

作文教室受講案内   無料体験学習   作文講師資格 
Online作文教室 言葉の森  「特定商取引に関する法律」に基づく表示」  「プライバシーポリシー」 
お電話によるお問合せは、0120-22-3987(平日9:00-19:30)