国語読解力は、あらゆる学力の基礎。問題集読書の復読と、読解検定の自主解説で確実に力がつく
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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

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   大人になる   ルフィ

 現代では、「大人になる」といった基準が分からないという人が増えてきているようだ。それは、過去の元服などといったはっきりとした子供と大人の境が消えてしまっているからだ。また、教育課程という節目のはっきりしない間延びしたプロセスも原因の一つである。だが、なんといっても子供に対する過剰な保護が問題であろう。私も、この意見には賛成である。子供のころから、大人の一員、つまり小さな大人であるということを自覚して生きたい。
 そのための方法として、社会体験をするというのが挙げられる。端的な例を示すならば、ボランティアなどだ。このボランティアというのはたいてい地域などの小社会などで行われていて、自らを社会の一員だという自覚を持たせるのにはうってつけである。私も、小学生のころ地域清掃に参加をした。そこで、「なんでこんなことやらなくちゃならねーんだよ」とも思った(笑)が、それ以上に自分が大人と同等に扱われることに誇りも感じた。そのときから私の心には小さな大人というものが芽生え始めていたのかもしれない。
 また、社会の教育の一環としてそのような場を作ってやることも必要だ。発明の父と呼ばれるエジソンは、小学校では異端児だった。だが、母親にちゃんとした一人前と扱ってもらうことによって、才能が開花したのだ。今の社会ではどうだろうか。例えば小学校などでは、先生が「法」であり、生徒はそれに対して抗議することさえままならない。反乱する牙は抜かれ、みんなが同じを目指すような教育が、果たして本当に正しいのだろうか。たとえ子供だとしても、大人を陵駕することだってあるのだ。
 確かに子供という期間は人にとって必要なものである。しかし、「出口のないトンネルはない」という名言があるように、大人にならない子供はいない。ならばその出口に到達したときの心の準備をなぜさせてやらないのだろうか。半年ほど前だったか定かではないが、ある地域の村では中学生から村長選の投票権を与えているそうだ。日本の社会全体も、そのような何らかの制度を取り入れて欲しいと、願うばかりである。

   講評   kira

 ルフィくん、こんにちは。第一志望校、合格おめでとうございます。目標にむかってまた新たな楔を打ち込んだね。前進です。
 さて、今回の作品では「小さな大人」「一人前」「大人と同等」という言葉がキーになっています。私は「なまいき」という言葉をなぜか思い出しました。まだ、その年に至っていないものが気負って何かした時に「なまいきね」といいます。マイナスイメージの言葉ですが、なにやら一人前と共通するようなものを感じたのです。今の社会は、この「なまいき」をやらせてくれないでおいて、いきなり大人社会に送り出しているようです。
 子供を保護して育てることと、子供の力を引き出してやることと、バランスが肝心ですね。その提案をしていけるのは、ちょうど子供から大人への道を駆け抜けるルフィくんの世代かもしれません。
 そういえば、電話で話した「少年の日」という制度は地方自治体などでオリジナルに設定して行っているようですね。主には、非行防止が趣旨のようです。もっとおおきな自覚の日になればいいですね。
             

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 しかし、子供たちの実力はそれぞれ個性的です。上手に書けている子の作文を見せて、自分の子供の作文と比較しないようにお願いします。

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