低学年から学力の基礎を作る
作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)
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価値観 シュシュ
今日、あらゆる点において高度に統合的な組織性を強めた社会では、その構造的力動によって自律的につくり出されるより大きな交換価値こそが、文化のコードとして支配者の地位につくことになっている。私たちの支配者は、社会的な交換価値という千変万化する記号のかたちをとって私たちひとりひとりを支配するようになっている。そしてこの情報化社会にあって、文化のコードを敏速かつ広域に浸透させるのを助けているのは、新聞・テレビなどのマス・メディアである。これらの欲望を満たそうとすることは、私たちを日々仕事に学習にその他さまざまな活動にかりたてる原動力となっている。
その時代の価値観にあわせて生きていくことは大切なことだ。私の学校は、中学、高校とつながっているのだが、高校での大学の進学率は100パーセントである。まだ中二なので、自分のこととしてあまり具体的に考えたことはないけれど、やはりこの学校にいるのだったら、大学へ進学した方が良いと思っている。学校側としても大学へ進学することが当然だと思っているだろうから6年間ものとても長い間大学への進学を前提にした学習をうけ続けるということになる。それならば、やはり大学へ進学するのが妥当な答えになるだろう。これは別に「みんなが行くならとりあえず私も」や「大学を卒業したという方が聞こえが良いから」という適当な考えからでた答えではない。せっかく進学を前提とした学習をしてきたのだから、それを最大限に利用した方が良いと私は思ったからだ。自分が今いる場所、私の場合は学校の、価値観にあった生き方をすることによって、屈折をなくすことができるのだ。もちろん私は、高卒などを軽蔑しているわけでは絶対にない。もしも、「大学へ行きたくない」などの反対の考えを持っているならば、それに適応したことをさせてくれる中学や高校へ行くべきだろう。もっと大げさな例をあげると、この現代に原始人のように文字も言葉もすてて、石のもりを使って自分で捕らえた動物のみを食べて生きていくのは、はっきり言って不可能ということだ。現代には現代のやり方があり、価値観がある。余談だが、「世渡り上手」とよばれる人はその時にぴったり合った言動をしている人だと私は思う。
しかし、自分自身の価値観を信じて行動することも大切だ。有名な昔話で「裸の王様」がある。王様の家来も民衆も、皆自分の目で見たことではなく、詐欺師の仕立て屋から聞いたことを信じた。信じたというよりも、「皆が見えるというならば」と同じ意見でいることからくる安心感を求めたのかもしれない。しかし、純粋な子供は自分の目で見て、自分だけの考えで「王様は裸だ」ということも言った。これがきっかけで詐欺師の悪事がばれたのだ。大人になると、余計なことを気にしすぎてありのままの自分の考えを述べることがしにくくなるのかもしれないが、最後に頼りになるのはやはり自分の五感で感じ取ったものである。自分の価値観をもっと信用してみてはどうだろうか。
確かに、生きている時代の価値観も、自分自身の価値観もどちらも大切にしなければならない。しかし、最も大切なことは、何を大切にするか自分で考え選択するということだ。(総合化)時代の波に乗って生きることだって、そうすると自分できめたのであればそれはただたんに人に流されているのとは全く違う。「ことごとく書物を信ずれば、書物を読まないことと同じである。」という名言があるように、自分の価値観だけに縛られているのでは、それは自ら視野を狭くしていることとなる。他のだれのでもない自分の人生なのだから、しっかり自分で選択をしていって後悔のないようにしてゆきたいと思う。
講評 jun
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