創造と発表の新しい学力
作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)
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日本人 たこ焼き
日本人は淡泊であるが、持続力にかけていると言われる。うるさいことは嫌だといい、ごてごてしていることはおもしろくないと感じる。細かいことは、省略してしまう。それが、日本人である。
長文からもわかるように、日本人はそのような性格なので、短歌や俳句のように、文章を短くしてしまうことが得意である。例えば、「古池や 蛙とびこむ 水の音」。長くなる文章を17文字でまとめてしまった。
しかし、これを外国人に説明すると、「???」と言われてしまう。なぜかというと、外国文化にはこのように短くまとめるものはめずらしいのである。なので、この松尾芭蕉の俳句を説明すると、逆に「どこの池ですか?」とか「いつ頃ですか?」「どんな蛙ですか?」と聞かれてしまうだろう。(笑)
しかし、なんだかんだと全て俳句や短歌のように短くしてしまうと通じないこともおそらくでてくるだろう。理由は、日本語は主語がなかったりしても文章になるからだ。単語だけでも一応通じるからである。
例えば、「あっち行ったよ〜。」と言っただけだと、文の前後でおそらくわかると思うのだが、初めて聞いた人は、「誰が?あっちってどっち?」と混乱する。
しかし、反対に短い言葉で言わないといけないときがある。それは、今すぐ相手に伝えなくてはいけないときなど。例えば、ボールが飛んできたとき「危ない!!」と言ってくれれば、すぐ避けられる。しかし、その時に「○×さん、ボール避けないと危ないよ〜!!」と言われると、時間がかかりすぎて「そう?」と思った瞬間に、ボールが当たってきそうだ。(笑)
これらからわかるように、文は使い分けをすることが大切だと思う。長々しく説明する必用があるときもあれば、短く縮めても良いときの使い分けをしなければならないと思う。
確かに、日本人は文章を縮めたがる。しかし、その短い文章の中にも俳句や短歌のように深い意味が込められているのである。短くても、中身が詰まっていれば、どんなに長くてもあまり中身が詰まっていないものと比べると、それは短くても中身が充実しているほうが良いと言えるだろう。
私たちの生活に、日本語はかかせないものである。普通になにも感じないで、日本語を話しているけれど、日本語も昔の人々の文化があってからこそ、ここまで言葉が進化してきたのだと言えよう。 人により、文章の長い短いの好みはあるだろうが、私は短くすることが好きな日本人なので、俳句や短歌などの短いけれど奥が深い文化が好きである。
講評 nara
短く省略することが望ましい場面と、論理性が必要とされる場面、身近なシーンを想定してわかりやすく説明できたね。結局のところは、どちらにも通用するという固定した表現はない、つまり、使い分けることが大切だということだ。ここまで提示した上で、「私は〜がいい(好き・すべきだ)」という自分の立場を示したのは、わかりやすい組み立てだね。
さて、ではなぜ、今あらためて「日本人的な省略の表現」を取り上げて、見直す必要があるのだろう。もしくは、筆者はこういう問題提起をしたのだろう。その点を考えてみるといい。「省略も論理もどちらも必要だけれど、そうではない現状があるから」こそではないだろうか。そうではない現状を、たこ焼きさんなりに分析してみるとおもしろそうだな。
長文の最後に引用されている芭蕉の言葉「言ひおほせて何かある」ここについて、たこ焼きさんはどう思うかも加えておくと、目標字数に十分到達しそうだよ。
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