国語読解力は、あらゆる学力の基礎。問題集読書の復読と、読解検定の自主解説で確実に力がつく
国語読解力は、あらゆる学力の基礎。問題集読書の復読と、読解検定の自主解説で確実に力がつく。

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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

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   独断と偏見の読書観   うるよ

 読書には、場所も時間もお金も必要で無い。また、対象も限られておらず、老人や子供、それに病人であっても楽しめる。そのようなことから見て、読書とは極めて便利な娯楽であると言える。また、人間の数限りない好奇心の満足を広げてくれる。「オーディオ・ビジュアル」の時代が来、活字情報を駆逐するという論もあるが、「オーディオ」「ビジュアル」の情報は活字の足元にも及ばない。それに、本を読むと言う事は、文章だけに留まらず、「日本語を読む」ということともつながり、日本語の魅力、更には美しさを教えてくれる。(要約)
 私は、毎日読書は気軽にして最高の娯楽だと思う。電車で通学する時に、文庫本でも持っていって、そこに印刷された文字を読むだけで、そこに書かれた光景がありありと浮かんでくる。しかも自分だけにしか分からない自分だけの光景である。想像が広がってくると、本を閉じるのがなんとも残念に思えてくる。私は毎朝、電車が止まらないかななどと不謹慎な事を考え、帰りには家に帰りたくないとかまるで家出少女のような事を思う。おそらく私はここまで人をのめり込ませる本というもの以上の娯楽と出会う事は無いだろう。
 また、本文にもある、「オーディオ・ビジュアル」の情報についてだが、それはそれでまたま無くてはならないものだと思うが、私としては、どうか小説などの活字情報をその「オーディオ・ビジュアル」なる物で語らないで欲しい、と切に思う。「オーディオ・ビジュアル」を活字でなら十分に語れると思うが、活字は決して語れない。小説原作の映画・ドラマなどを私は何作も見てきたが、その原作を読者が読むときの想像の域を狭めるだけのような気がした。原作は原作、映画は映画で割り切れば良かったのだろうが、一旦固定されてしまったものというものはなかなか離れてくれなかった。私の読書の一番の楽しみ、「自分の独断と偏見による想像」が奪われてしまったのである。実に残念であった。
 私は、想像することが楽しいと述べてきたが、この「想像する」という事はすべての人にとって必要な事なのではないかと私は考える。こんな世の中が殺伐としてきてしまったのには、いろいろな原因があると思うが、その一つに、みんながあまり「想像する」という事をしなくなってきた事が挙げられると思う。もっと色々なことを想像すれば、人のことも想像することができ、思いやることのできるほのぼのとした社会になると考える。そのためにも、このごろすたれがちな読書をすべての人に勧めたい。

   講評   jun


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