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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

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   脳死について   うやぬ

 現在の医療は昔の杉田玄白が解体新書を提唱した頃に比べてかなりのスピードで発達してきている。レントゲンを使って自分の体のどこかに異常がないか確認してみたり、血液検査を利用してアレルギー反応や白血球の数を数えたり調べたりできるようになったのである。これによって人々は人命を取り留めていくのである。そんな中、今現在のこの時代で様々な医療問題が起こりえてしまっている。その中でも今回は脳死について考えてみたいと思う。前の話で言ったように今現在の医療が発達してきているとともに世の中の人達は延命治療を受けられそのことによって長生きすることができるようになったのだ。非常に有難いことだ。だがそれでも世の中にはどうしても受け入れなければならないことがあるのだ。それは脳死のように自らの身体は成長しているのに頭の中の脳細胞が死んでしまい自分で考えたり行動したりするようなことができなくなり身動きができないまま生きている状態である。このような出来事に対して二つの意見が分かれている。
 一つは脳死を「死」として認めることはよいことである。その理由は・・・現在肝臓が弱ってしまい移植手術を余儀なくされている人がいると仮定しよう。そんな中脳死した人がいたとしたらどうすることだろう。きっと脳死した人の肝臓を欲しがるにちがいない。だが今の日本では脳死した人の臓器を勝手に使用することはできない。使用する場合にはドナーカードが必要なのだ。ドナーカードがなければいくら対象者がいたとしてもそれは無理なのだ。もしやってしまった場合は罪を着せられてしまうのだ。けれどもアメリカは違う。アメリカの場合には人の命の尊さを理解しているからにこのような医療行為が認められるのだ。よって脳死を死と認め他の人々を延命させてくれる臓器がありそれをリサイクルさせてくれることが良いという意見がありでているのだ。
 しかし、脳死を死として認めることはあり得るのだろうか。あくまっでも脳死、その人の身体自身は生きている、自分では自発的行動ができないが身体自身はありえているのである。人間には感情というものが備わっている。怒りや憎しみ、悲しみや喜びである。人は身近な人が脳死になってしまった時どのような感情が生まれるだろうか。おそらく三つに分かれるだろう。脳死してしまった本人は酸素ボンベを利用している植物状態であり全くなにもっできない状態である。「本人はこのまま生きていても辛い思いをするだけだ。楽にしてあげたい。」という気持ちになり酸素ボンベを取ってしまいたいという感情。「本人の身体はまだ生きている。できる限りの治療で長生きしてもらいたい。」という感情。「この人がいなくなれば・・・。」という感情。このような感情が生じるため脳死を「死」として認めて良いものか悩みどころである。
 このように今脳死については難しい問題がまだまだあるだろう。私ももし脳死に直面してしまったらどうなることだろう。やはり楽にしてあげるべきなのか、それともその人の人権を尊重するべきなのか。この内容は実に悩みどころである。

   講評   nane

 構成がわかりやすい。このように段落ごとに論点をはっきりさせて書いていくのは大事。脳死というのは、人類が新しく遭遇した問題だから、簡単に結論は出せない。今回の文章のように、複数の意見を自分なりに消化して書いていくといいね。
 この問題は一度書いておくと、次回からはもっと整理して書けるようになる。本を読んで得た知識などがあれば、それらも入れていこう。
 結びに、「○○は……ではなく……である」という形の名言を入れてみよう。
▲読点は、1つの文に1〜2個を目安につけていこう。▲「のだ」が続くとくどい印象になる。肝心なところだけに絞るといいよ。

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