国語読解力は、あらゆる学力の基礎。問題集読書の復読と、読解検定の自主解説で確実に力がつく
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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

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   時間の形態   クラシック

 我々にとって、時間が絶対的であるということはもはや疑うことさえ≪時間の無駄≫である永久普遍の事実となっている。我々は、もう半世紀以上も前より、時計を見て出かけ、午後5時を告げる鐘と共に帰宅するということを繰り返してきた。我々は時間を指標軸として捉えると共にその直線状において個々人を流れという天秤に乗せてきたのである。これは非常に都合が良かった。エジプトの神話に、アヌビスという山犬の頭の神がいる。アヌビスは死者の心臓を天秤に乗せ、もう片方に善の封じ込められた羽を乗せて釣り合うかどうかを確かめたという。エジプト神話であれば、善の数が釣り合わなければ2度と転生できない。図るものに違いこそあれ、この座標天秤も似たようなもので、下手にハンディの無い個々人は、他方に適応性をかけられ、これと釣り合わなければさっさと殺されていくしかない(自由や平等、個性の尊重を掲げておいてこれである)。時間が、身近にあるにも関わらず目に見えず永遠に得体の知れないそれが、今やアイデンティティやレゾンデートルさえ決定してしまっている。つまり、まず始めに時間があり、我々はその脇を固めているに過ぎないということである。それに対して、かつて、まだ時計も無かった時代には、確かに時間は強力な力を持っていたが、決して絶対的ではなく我々は小川のように緩やかに流れるそれに身を任せてはいたけれども、主人公であり続けていた。即ち、いついかなる時にも≪時間の無駄≫など無かった時代である。樺山紘一氏の「異境の発見」より言葉を借りれば、空間と時間とが連続していた世界である。氏はこういった世界を、閉鎖され同一性に支配された空間であったと述べていたが、そもそもこの世界に時間の基軸という絶対的なものは存在せず、ただ≪物≫として時間があったばかりである。そう、桃源郷や浦島太郎などのおとぎ話が語る通り、時間とは、力により我々が支配しうる、また目で見、触ることのできるただの≪物≫として存在していたばかりなのである。
 明治維新以後、産業が復旧し、社会の工業化が進むにつれ、時間の絶対性に対する固定された観念が生まれ、第二次世界大戦以後になると、いよいよさらに顕著に表れ、人をきつく縛りつけ始めた。この時点より、我々残さず一人一人の間に「時は金なり」といった観念が芽生えたのである。
 近代における我々の抱える心の病が表層的な心理に無く、深層心理に刻み込まれた虚無感であるのと同じく、これは近代の管理社会における不可避の病と言えよう。それは、アメリカやイギリスを筆頭とする他の先進国が証明してくれている。最も、その中でも特に日本は極端である。凝り性と茶化される日本人の改良癖の性であるが、かつて日本が発展途上国とされていた時の追い越せ追いつけという信念より、その先を返り見なかった事にも原因はありそうだ。諸外国が長年をかけてゆっくりと発展させた文化に、先駆者の手本があったとはいえ、たかだか十数年で追いつこう、あわよくば抜いてしまおうなどとは虫の良い話であろう。その結果、他国のような効率化こそなされたものの、思想感や人間的本質にまで無理が出、国民にさらなる負担をかける結果となったのである。外国には長年培った独特の思想や観念がある。それに適応した社会構成が出来ているのだ。改良こそすれ、これをコピーしてしまおうと言うのだから、無理や問題が出ても少しもおかしくはないだろう。
 時間基軸を絶対に定めることによって、今の日本社会はある。しかし、時間という基軸は、人に労働の限界を定め、いたずらに人の欲を刺激している。早々に適応できる若葉、能率的な若葉だけを尊重し、時間に適応できない芽は徹底的に摘み取っていく。それは、大器晩成の、いわゆる天才といわれる芽まで踏みにじっているのである。もし、かの晩成の代表格、アインシュタインが、エジソンが、坂本竜馬が、現代社会に居たならば、その天才の気質を発揮できたであろうか、歴史にさえ名を残す偉業を、偉大な発明を、偉大な発見を成し遂げることができたであろうか? いや、私は、絶対に出来なかったと断言できる。我々は、時間に縛られ、能率に縛られたこの社会を、変えていかなければならないのだ。近年、情報化社会という概念が生まれつつある。これは、まさしく日本的な、いや、全世界的な気質になる可能性を秘めているという。それが実現すれば、我々は時間という基軸にばかり縛られている必要は無くなる。のびのびと個々人が学びたいときに学び、遊びたいときに遊ぶ。そんな理想的社会が実現するやも知れない。情報化社会の可能性に期待することにしよう。

   講評   nane


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