創造と発表の新しい学力
総合選抜入試にも対応。探究学習を超えた、新しい創造発表学習。
AI時代には、知識の学力よりも、思考力、創造力、発表力の学力が重要になる。

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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

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   時間   ルフィ

 人が、「趣味」と呼ばれる何かを行っているときは、実は「何もしていない」状況を作り出そうとしているのだ。そして、その状況は、ほうっておいても体験できる「流れる」時間の中で生じている。今、現代人の多くは流れる時間の中で何もしていないことが重要だと重い、それにすがりついている。しかし、果たしてそのような時間はよいものなのであろうか。私は、自ら意識した時間の中で何もしない、つまり休息をとるようにするべきだと思う。そのための方法として、以下の2つが挙げられる。
 まず一つ目は、深く探求できるような趣味を持つことだ。これはお茶などといった例が挙げられるが、まぁ例えば学生が「このお茶は・・・」などとやっていたらちょっと変な光景であろう(笑)もちろん否定はしないけど。といったわけで、私は読書を推奨したいと思う。そもそも、誰かの言葉にもあるように、読書とは他人の頭を使って考えることである。つまり、自己を統制している精神のうち、肉体を制御する一部の本能のみを残し、著者の言葉を辿りながら後の精神は全て著者の思考に委ねる・・・何てかっこよく書こうと思ったら分かりにくくなったんで素直に書きます(笑)要は、本を読んでいるときの「自分」は普段ご飯を食べたり人と喋ったりしている「自分」ではなくて、著者の考えをトレースすることによって、自らの考え方を一時的とはいえ著者に一任としているので、それはすでに「自分」ではないということである。なんか余計に混乱させただけのような気がするが(笑)とにかく私が言いたいのは、読書をしているときのあなたは普段のあなたと違いますよってことだ(だったら最初から言えと)そして、それはつまり読書中の自分はいつも働いている自分とは違うので、普段機能している自分は何もしていない、もしくは考えていないのと同義なのではないか。そうだとしたら、読書という行為は、序論の後半で挙げた自ら意識した時間の中で何もしない状況と一致しているように思える、といいたいがためにここまでくどくど書いてきてしまった(笑)
 ところで、もう一つの方法はというと、成し遂げるのにかかった時間ではなく、内容を評価するような社会体制を生み出すというものだ。少々過激な例を挙げてしまうが、今の老人を評価して能力のある若者を評価しない日本のシステムには、賛成しかねるということである。もちろん世の中には、まだまだ働くのに支障のないというより十分すぎるほどの頭脳と、それをバックアップする豊かな経験の両方を持ち合わせた高齢者もいる。だが、同時に世間には、明らかにもう無理だろうと周りからも言われているのにもかかわらず、自分の地位に固執する方も(少し前に話題になったかの大物政治家などを筆頭に)いるのが現実である。そのような人たちが、仮に優秀な若者がいたとした場合に、彼らを抑制しているのは非常にもったいないことだと思う。私は、高齢者がその地位に達するまでにかかった時間よりも、老若男女問わずに能力といった内容で評価するべきだと思う。なぜなら、同じ時間働いたとしても能力のあるものの方が断然能率がいいからだ。
 と、今まで散々言ってきた私だが、確かにボーっとすることも時には大切である。だが、やはり「時間とは、消費されるものではなく、生み出されるものである」のだからボーっとしている時間はもったいないと思う。ところで、今ふと思ったのだが、時間とはそもそも何なのであろう。手元にあった国語辞典を引いてみると、何だか量とか長さだとか出ている。だから、「積み重ね」ができるのかもしれない。しかし、私は時間とはただの概念であると思っている。この、私達が存在している空間を考えるときに使われる、一つの概念だと。その証拠に、「現在」という量は時間という単位では表せられないだろう。「過去」や「未来」は「現在」を基準として計られているのだから。だとしたら、「積み重ね」とはいったい何のことであろうか。私は、時間という溶液をこしたときに残る溶質を蓄えることだと思う。一般に、「濃い」時間というのはこの溶液の質量パーセント濃度が高い時間をさすのであろうし、「薄い」はその逆にして然り、である。さて、文系の方のために説明を加えておこう(笑)時間とは、空気のようなものであると私は考えている。それをさきほどは、溶液という言葉で表現してみた。つまり、時間が私達の体を通り抜けていくときに、何をどれくらいしていたかによって、その空気に含まれてくるものが変わってくるのである。そして、それが通過したときに残るものが多ければ多いほど、「濃い」時間といわれるのである。ご理解いただけたであろうか(笑)さて、このような時間の使い方をしてもらうための方法を、今までずっと紹介して来た(つもり)だ。ぜひとも実践してみて欲しいと、切に願っている。

   講評   kira


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