創造と発表の新しい学力
作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)
小学1・2年生
小学3・4年生
小学5・6年生
中学1・2・3年生
高校1・2・3年生
教養 シュシュ
日本の教育は、高校、大学で文系と理系にわかれることになっている。確かに、自分の本当にやりたいことを全力で勉強できるので良いかもしれない。一方、イギリスの大学では、文系理系に限らずシェイクスピアの文を読まなければいけないらしい。それには、一人の人間として教養のある幅広い視野をもった人間になるためという目的がある。私は、専門的な知識だけでなく、様々なことにおいて豊かな人間になりたいと思う。
そのための第一の方法に、全てのことにおいて好奇心旺盛でいることがある。始めから好きでないときめつけて、積極的にものごとにとりくまないでいることは、あらゆる意味で人生のチャンスをのがしていることになるだろう。どんなことでも興味を持って接すれば、何か自分にとって良いものを得ることができるはずだ。中学3年になって、現代社会の授業が始まった。第1回目の授業で週に1回新聞をスクラップすることが課題にだされた。私は中学に入ってからは普通の新聞を夕刊だけは毎日読むようにしていた。スクラップは夕刊でも朝刊でもどちらからでもかまわなかったが、これを機会に朝刊もなるべく毎日読むようにすることにした。実際読んでみると、朝刊の方がくわしく書いてあったりして意外と面白い。もしも始めから、週1回なら夕刊だけでいい、ときめつけていたら知らないことがいっぱいあったかもしれない。
また、第二の方法に、学校での教育方針を、知識をつめこむだけでない人格形成も重視したものにするということがある。学校の先生から聞いた話で、こんな話があった。どこの学校かは忘れてしまったが、授業はなりたたない、タバコを吸う生徒がいる、などと一言で言えばどうしようもないような高校があった。しかし、これではいけないと考えた学校側が教師一団となって生徒を良くしようとしたら、今では東京大学への進学率が全国でもベスト10に入る程の学校になったそうだ。学校を変えようと、先生たちがしたことは基本的なことだった。「学校にある落書きすべてを消す」ということだ。環境が変わることから、この学校の生徒たちもかわっていった。始めは、勉強というよりも人間としてのモラルを変えようとしたことが、勉強という目にみえる結果になって現れたのだ。
確かに、せまく深く掘り下げていくことも大切だ。しかし、「辞書のような人間になることではなく、辞書をうまく使えるような人間になることが勉強の目的である」という名言のように、幅広い教養を身につけ、正しい知識を使い分けられるような人間になりたいと思う。
講評 miri
毎月の学年別「森リン大賞」作品集森リンの丘
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しかし、子供たちの実力はそれぞれ個性的です。上手に書けている子の作文を見せて、自分の子供の作文と比較しないようにお願いします。
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