国語読解力は、あらゆる学力の基礎。問題集読書の復読と、読解検定の自主解説で確実に力がつく
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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

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   「美」の基準   ぷぅ

 美とは、本来、自然の造化による創造物の性質を言いあらわす言葉である。自然はその創造するすべてのものに、美という性質のほかは与えない。美の基準は個性におかれ、醜と対立する美という範囲内でしか考えられなくなり、自ら美の次元を低い段階に限定する状態となったのであった。
 「美」という字を辞書で引いてみると、「非常にりっぱで人を感動させること。/哲学で、調和・統一のある対象に対して、利害や関心を離れて純粋に感動するときに感じられる快。」私が今までで「美しい」と思ったもので、一番に思い浮かぶものは写真である。あるサイトでみた風景や人、物の写真。同じものをとっていても、微妙な角度の違いで、「めっちゃキレイやぁ」と思うものもあれば、何にもおもわないものもある。どちらも物の自然な状態を映しているのだが、なぜこうも違ってみえるのか。
 長文にも書いているように、美の基準は、個々できめられている。一人一人の感覚で、美というものは常に変化しているものなのではないか。「醜」の基準は大体の人が同じであるのに、なぜ「美」は範囲が広いのだろうか。辞書でひいた時には、「非常にりっぱで人を感動させること」とでた。そのものが立派であると思うかどうかは、その人の興味のあるものになってくるのではないか。
 私が今興味をもっているものは写真であり、その中で「美」というものを感じることができた。「美」というものは何かと追求するのは不可能なことで、世界中のすべての人が美しいと感じるものは何か分からないのである。「美」というものは、自分の中だけで知ることのできる感動なのではないだろうか。

   講評   kira

 ぷぅさん、こんにちは。「「美」というものは、自分の中だけで知ることのできる感動なのではないだろうか。 」という問いかけで終わっています。美の基準は決められるものではないという主張ですね。「当為の主題」にあてはめれば、自分の内なる美の基準を育てていくべきだ、ということになるでしょうか。
 まず「・・・べきだ」という主題をきめて、そのための方法を考えるようにしていくと書きやすいです。
 ぷぅさんの文章から方法をさぐると、第一の方法は「美を感じる世界を自分なりにもつことだ。」第二の方法は「美に触れる体験をたくさん持つことだ。」といったふうになるかなあ。
 それぞれに「写真」のような体験談を書いていきましょう。
 私もデジカメに出会って、写真が好きになりました。なにげなく歩く道にも季節やちょっとしたドラマがあります。花もその横顔を撮るとまったくちがった美しさを持っていたりします。(今まで写真は記念だと思ってたのです。)今ではスケッチするように撮っています。
    

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