低学年から学力の基礎を作る
作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)
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そして僕は牛車を引く 高峰
人間は牛である。私もあなたも牛である。善の部分「白」と、悪の部分「黒」が混ざっているのだ。ところが、小さい子どもなら誰もが見るであろうテレビアニメの世界では、正義は正義、悪は悪の形でしか、存在は許されない。現在、ほぼ全家庭に普及しているであろうテレビという媒体を使っているために、その影響は計り知れないものがある。子どもが、善と悪の二つの枠でしか事物を考えられなくなってしまう可能性が懸念されているのだ。そうならないために、私たちは多面的なものの見方をするべきだ。
その方法は第一に、100%をお手本通りには動かないことだ。マニュアルに100%従う人が、仕事のできる「賢い人」というわけではない。例えば、自分は中学時代にハンドボールをやっていた。ハンドボールでは時に、選手それぞれが決まった動きをして、攻撃をすることがある。だが、この決まった形の攻撃、相手のディフェンスのフォーメーションによっては使えない事もあるのだ。つまり、「この攻めを使えば、得点できる」という簡単なものでは無い。それをただ頭に詰め込み、更に相手のディフェンスの一面しか見ずに攻めてしまうのは、非常に愚かなことである。一人でハンバーガーを100個注文の際に「お持ち帰りですか?」と聞いてしまう、某スマイル0円の大手企業と同じである。
第二の方法は、様々な世代が入り混じって、積極的に交流を深められる場を作ることだ。同世代の考え方ばかりが身に染み付くと、一面的なものの見方しか出来なくなってしまう。別の世代と親交を深める上での、多少のジェネレーションギャップがあるのはしょうがない。むしろ、それこそが人間の視野を多面的なものに変化させてくれる大切な要素なのである。とはいえ、高齢のおばあちゃまがヘソだしルックで巣鴨の厚焼き煎餅を食す姿は想像できないが。・・・そういえば、「ヘソだしルック」なるものが流行していたのは、少し前の世代だったように思われる。となると、若者と呼ばれる年頃の自分と同級生たちの間には、ジェネレーションギャップがあるような気がしてならない(笑)。
もちろん、一面的な物事の見方をする事も大切だ。戦国時代には、それが原動力となり、日本全体にとっても良い流れを引き寄せたこともあった。だが、現代に必要なのは、物事を多面的に見る力なのである。多面的に見ると言うより、人間の善悪全体を牛だと捉えるのだから、総合的に見ることが必要なのかもしれない。とにかく、一面的なマニュアルに従うのではなく、自分の心に従うべきだ。そうすることで、多面的に物事を見るのが可能となる。
長い間パソコンの前に座っていたので、あくびが出てきた。こういった作業は、苦手なのかもしれない。僕は牛なのだから。
講評 jun
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