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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

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   僕が知らなかった「余白」の美   つっちー

 「そこをなんとか」という言葉をいうと、「そこ」は何を指すのか分からないし、「なんとか」はどういうことなのか分からないからきわめてあいまいである。「余白」の美という日本の芸術があって、イスラムの芸術はまったく逆で空白への恐怖とも思えるほど、びっしりと空間をうめつくす。日本人の好む「余白だが、これは言うまでも可能性を意味する。<<要約>>
 「そこをなんとか」という言葉は使わない方がいいけれど、使っても良い、あいまいな言葉だ。言っても意味の分からない時のある言葉だ。意味が通じなかったら何回も言ってもぬかに釘である。ぬかに釘だったら言わないほうが良かったかもしれないのだ。相手を混乱させたら大変だからだ。アメリカでも「そこをなんとか」のような言葉を使う。それを日本語に訳すと「どうにかしろ」となってしまうから、少し違うかもしれない。「そこをなんとか」と「どうにかしろ」はまるで間に鏡があるようだ。<<たとえ>>両方とも同じだけれど、「そこをなんとか」を裏返しにした物が「どうにかしろ」だとぼくは思う。
 「余白」の美だが、空白の何が美しいのだろうとぼくは思う。「余白」の美どういうものなのか分からなかったので母にきいてみたら、日本人はさっぱりした物が好きだといっていた。何もない所などが好きだから芸術品でも白い所を残すらしい。イスラムの芸術は日本人にとってしつこいそうだ。アメリカの食べ物と和食のように、アメリカの食べ物は油っぽくて、和食は油物がなく、さっぱりしているからイスラムと日本の芸術のようだ。
 「余白」の美の事がたくさんわかった。<<分かったこと>>たとえば日本人がそれを好む理由だ。僕はまだ日本に2年しか住んでいないから、知らなかった日本のことがたくさんあるのだ。

   講評   kira

 つっちーくん、こんにちは。今回の文章のテーマは少し難解でした。「余白の美」に現れるような日本人のものの考え方をとらえていくものでした。
 最近は日本人でも理解しがたくなってきているのではないかと思います。「そこをなんとか」というのは、ダメだと拒絶している相手に対して「言葉ではダメだといってるけれどあなたの気持ちでなんとか受け入れてほしい。」と言ってるわけです。相手にゆだねているんだね。だから、つっちーくんの指摘どおり結果的には「どうにかしろ」と言ってるのと同じです。ちがうのは、相手の言葉の延長線上に期待しているということ。そこが「余白」の部分なんだね。
 余白の美はきっと、見る人の想像にまかせてくれるところによさを感じるのだと思います。物語のエンディングを情景描写にして、主人公のこれからをなんとなく想像させるといったことと似ています。
 日本らしさとは何か。日本人が真剣に考えていかなくてはならないことです。日本は明治時代以降、欧米に追いつくためにせっせとその文化を学びました。そしてすっかり自分の国の文化のことをあとまわしにしてきた反省があります。胸をはって、日本を世界にアピールするために、日本を学びたいですね。
     

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