国語読解力は、あらゆる学力の基礎。問題集読書の復読と、読解検定の自主解説で確実に力がつく
国語読解力は、あらゆる学力の基礎。問題集読書の復読と、読解検定の自主解説で確実に力がつく。

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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

小学1・2年生   小学3・4年生   小学5・6年生   中学1・2・3年生   高校1・2・3年生

   無駄?   えわあ

 噴水は、使えない水をただ循環させただけの、何の役にも立たないものだ。しかし、この無意味な物が出現する事により、人々の文化的感覚が刺激され、新たな文化を創り出すのである。文化とは無意味な事であり、国や人々が文化的に向上する為には、こういった「無駄」が必要不可欠なのだ。
 だが、近年、日本人はできる限り無駄を省き、能率よく物事を進める事に意義を見出している。例えば学校。私の通っている高校は進学校である。二年生ぐらいになると、皆、受験の事を踏まえ、家庭科、美術、音楽などといった、受験に直接必要ない福教科を投げ出す傾向にある。授業中、睡眠をとる者もいれば、主要教科の勉強を始める者もいる。時間の過ごし方は様々だが、皆一様にして、「時間の無駄」「こんな事してる暇があったら・・・」などと言う言葉を連発するのである。

 別の例を挙げると、「受験の低年齢化」という物がある。本来なら、公園等で自由に遊んでいていいはずの小さな子供が、小学・中学受験の為にほとんど強制的に勉強されられるのである。これらの子供達の両親は、鬼ごっこをしたり、虫を捕まえたりなど、子供が自由に過ごす時間を無駄だと考え、子供達の時間を束縛してしまうのだ

 高校生の福教科にしても、子供達のフリータイムにしても、それらは果たして本当に意味のないものなのだろうか。私はそうは思わない。人々は、もっと「無駄なもの」に対する見方を変えるべきである。

 先ほども述べた通り、文化とは、ほとんど無意味なものである。例えば物に実用性だけを求めたならば、服に模様やデザインはいらないし、皿は、食べ物を乗せることさえ出来れば、円くなくても良いはずだ。しかし、人々は可愛らしい模様や、美しいデザインの服を好んで着、世に出ている皿の大半には、様々なデザインが施されている。人間にとって、文化は、例え無意味であっても、生きていく上で必要なものなのである。だが、無駄がなければ文化は存在し得ない。無駄を省く事が良しとされる今日、我々の文化は、危機に立たされているのである。

 知識だけを頭に詰め込み、時間を無駄なく効率的に使う事ならばロボットでも出来る。だが、ロボットに皿のデザインの美しさを理解しろと言っても、それは無理な話である。そういった、いわゆる「無駄」なものを理解できるのは、心を持った人間だけだ。無駄なものがあるからこそ、人の心は豊かになる。つまり、無駄をなくそうとすることは、心の貧困にも繋がってくるのである。

 これらの事実を踏まえた上で、私はもう一度問いたい。無駄であることは、それほどに悪いことなのだろうか。確かに、無駄を省き、効率良く物事を進める事も、時には必要だろう。しかし、無駄である事は、人々に必要な文化を生み出し、人々の心を豊かにする。日本人は、もっと無駄なものに対する見方を変え、無駄である事を積極的に受け入れるようにするべきだ。「無駄」は無意味ではなく、むしろ人の人生を豊かにするという、重要な意味を持つものである。

   講評   nane

 わかりやすい構成。
 無駄の必要性ということを、子供の遊びなどを例に具体的に書いた。ここで、できれば自分の個性や感動のある話も入れておこう。
 第二の実例の文化の話もいい内容。お皿のデザインなどの例でもいいけど、ここには、学校の勉強で得た知識の歴史上の事例などを入れていけると更によい。古代の遺跡などを見ると、柱に彫刻がしてあったり、天井に絵がかいてあったり、無駄な文化が数多くある。エジプトのピラミッドなども、そこに費やした労力とそこから得られる実際的な利益から考えると、壮大な無駄だったはずだからね。
 「無駄は無意味ではなく……」は名言に近い。これからも挑戦してみよう。
 社会実例を増やすためにも、問題集読書を続けていこう。
▲副教科

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