国語読解力は、あらゆる学力の基礎。問題集読書の復読と、読解検定の自主解説で確実に力がつく
国語読解力は、あらゆる学力の基礎。問題集読書の復読と、読解検定の自主解説で確実に力がつく。

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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

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   読書革命   ニュートン

 皆さんには、まだ字が読めないころの読書体験があるだろうか。筆者にとって、それは謎に満ちた物語であり、通常の音階を持たぬ歌である。これこそ、本と言うものの持つ力ではないのであろうか。本を読むというのは、そこにあるものを、こちらに運ぶような機械的な作業ではなく、場合によっては、作者の意図をも超えて、われわれのうちになにかを作り上げていくことである。手ごわい相手、理解できない書に行き当たると、歯の立たないものをかんだようなつもりになって、見当違いの解釈をすることも多い。だが、それこそが、読書の楽しみなのである。<<要約>>

 僕は、小さい頃から、本を読むことが好きである。はっきりとしたことは言えないが、たぶん、お母さんのお腹の中にいた頃から本を読み聞かせてもらっていたからであろう。それで物心付いた頃から、もう僕は読書を始めていた。最初は絵本、次に簡単な童話・・・・・・、と徐々にレベルアップしていき、二年生になる頃には、もう高学年向けの本(たとえば『怪人二十面相』シリーズ)が読めていた。

 この年の秋、僕は何を思ったのか、厚い上に『ぶ』がつくほどの小説『はてしない物語』(ミヒャエル・エンデ作)を読み始めた。理由は超単純。クラスメートから
「おおっ、すげぇ!」
と言われたかったからである。事実、学校では、読んだふりをして、人目を気にして、目玉をキョロキョロさせていただけであった。(僕はその後、とっても目玉が痛くなったよ。)クラスメートも、僕が朝の読書時間だけでなく休み時間にも読みふけっている(ふり)を見て、スゴイ!スゴイ!と僕の待っていた言葉を口にしていた。だが、その言葉も号令をかけたかのようにピタッと止んだ。何故なら、本ではなくて、教室の色んな所に目を走らせていて、目次だけのページをずーと開いているままの僕を『おかしい!』と思ったのであろう。排水溝に吸い込まれる水のように、クラスメートの数は減っていき、その数は零となった。僕は、とってもがっかりした。

 夕暮れの風の中、僕は例の『はてしない物語』を片手に学校から自宅へと帰った。ランドセルを置いて、一息ついたところで、畳の上で異様な雰囲気を漂わせているその本に目をやった。はてしない物語——分厚い上に、字も小さく、また字が色分けまでされている。いったいどういう内容で、どういうジャンルなのだろうか。題名だけを見ても、何も分からない。

 実のところ、この頃の僕の本の読み方というのは、あらかじめ読む本のあらすじや紹介を何度も読み、内容を想像して、初めて本文を読む、というものであった。何故こんなにも面倒な方法をとったのだろうか。僕は、ストーリーが長い本、レベルが高くて難解な本を読んでいると、決まって途中からつらくなり、飛ばし読みを開始するのだ。(いつも百六ページ目あたりから。)だが、内容の想像は、そんなことを助けてくれる。たとえば、少しでも同じような箇所が見つかると、そこからどのように話が展開するのか・・・に興味が引かれる。そして細部まで理解しようとするほか、自分の想像した話と、実際の話とを比較することで知恵がつき、満足感も覚えていた。
 
 さて、それはさておき、この本はあらすじがないので題名から、内容を勝手に想像して、目次だけでなく、一ページ目から、読み始めてみた。予想は大当たりだった。むしろ、内容がワクワクする物語でぐんぐん本の世界に引き込まれていった。嬉しくなって毎日読み続け、努力が報われた。1ヶ月足らずで、僕は五百ページ余りもある超分厚い本を読み終えたのである。これ以来、僕は飛ばし読みをすることがほとんど無くなった。はてしなく続くように長かった本よ、ミヒャエルエンデよ、有り難う。(笑)

 それから、三年経った五年生の時、僕は再度『はてしない物語』を読み返してみた。初めて読んだ頃以上に楽しめた上に、色々考えさせられることも多く、たくさんの発見があったことに驚かされた。

 本を読むと言うことは、一方的に情報を受け取ることではなく、読む人の年齢や経験、知識、考え方によって色々な読まれ方をされる。深く読むことが出来る人は多くの情報を得、浅い読み方しか出来なければ、少ししか受け取れない。しかし何度も繰り返し読むことによって、自分にとってその本の深みが増していくものである。本をたくさん読むということは、読書の経験とともに人生の経験も積み重ねるということである。
 読書が好きな人は、多かれ少なかれ、学習が好きなはずである。何故なら、読書とは、本を通して、学ぶことだからである。楽しみながら学ぶ、せっかくの機会を失っては、あまりにも惜しい。だから、飛ばし読みなんかせずに深く深く(マリアナ海溝のよりも)読んで、理解することをここでみんなにすすめたいと思う。


   講評   siro

<評価>
 二千字を超える大作ですね。麻州くんの豊富な読書経験を十分に語ってくれました。それにしても、小学校二年生で五百ページにも亘る分厚い本を読んでしまうなんてすごいですね! 読み始めたきっかけは、みんなに「すごい」と言われたかったから。これは案外大事なことです。みんなが見ているから、とりあえずページを開くことができたのですものね。でも、人目だけにこだわらないところが麻州くんの立派なところ。家に帰って一人、読み耽っていったのですね。この事実こそが、「読書が大好きだ」という麻州くんの気持ちの表れです。結論としては、読書と人生を結びつけて考えることができました。まさに、読書は何ものにも勝る、人生の教科書です。よいまとめですね。
<発展>
 『はてしない物語』を五年生になって再び読んだことを書いてくれました。「色々考えされられた」「たくさんの発見があった」とありますが、もう少し具体的に書いてみるとよいでしょう。二年生では感じ取れなかった、主人公の気持ちや人物関係などを書いてみるとよいですね。結論部分で示した「読む人の年齢や経験、知識、考え方によって色々な読まれ方をされる」という文に説得力を持たせることができます。逆に、「最初にあらすじを読む」など、読み方の説明などは具体的に書く必要はありません。この作文で、自分の伝えたいことは何か、テーマを設定した上で、そのことを中心に書いていくとよいですよ。

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 しかし、子供たちの実力はそれぞれ個性的です。上手に書けている子の作文を見せて、自分の子供の作文と比較しないようにお願いします。

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