国語読解力は、あらゆる学力の基礎。問題集読書の復読と、読解検定の自主解説で確実に力がつく
国語読解力は、あらゆる学力の基礎。問題集読書の復読と、読解検定の自主解説で確実に力がつく。

昨日4215 今日2279 合計62054
作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

小学1・2年生   小学3・4年生   小学5・6年生   中学1・2・3年生   高校1・2・3年生

   読書革命   ニュートン

 読書革命
                           ニュートン
  

 皆さんには、まだ字が読めないころの読書体験があるだろうか。筆者にとって、それは謎に満ちた物語であり、通常の音階を持たぬ歌である。これこそ、本と言うものの持つ力ではないのであろうか。本を読むというのは、そこにあるものを、こちらに運ぶような機械的な作業ではなく、場合によっては、作者の意図をも超えて、われわれのうちになにかを作り上げていくことである。手ごわい相手、理解できない書に行き当たると、歯の立たないものをかんだようなつもりになって、見当違いの解釈をすることも多い。だが、それこそが、読書の楽しみなのである。<<要約>>

 僕は、小さい頃から、本を読むことが好きである。はっきりとしたことは言えないが、たぶん、お母さんのお腹の中にいた頃から本を読み聞かせてもらっていたからであろう。それで物心付いた頃から、もう僕は読書を始めていた。最初は絵本、次に簡単な童話・・・・・・、と徐々にレベルアップしていき、二年生になる頃には、もう高学年向けの本(たとえば『怪人二十面相』シリーズ)が読めていた。

 この年の秋、僕は何を思ったのか、超分厚い小説『はてしない物語』(ミヒャエル・エンデ作)を読み始めた。理由は超単純。クラスメートから
「おおっ、すげぇ!」
と言われたかったからである。事実、学校では、読んだふりをして、人目を気にして、目玉をキョロキョロさせていただけであった。(僕はその後、とっても目玉が痛くなったよ。)クラスメートも、僕が朝の読書時間だけでなく休み時間にも読みふけっている(ふり)を見て、スゴイ!スゴイ!と僕の待っていた言葉を口にしていた。だが、その言葉も号令をかけたかのようにピタッと止んだ。何故なら、本ではなくて、教室の色んな所に目を走らせていて、目次だけのページをずーっと開いているままの僕を『おかしい!』と思ったのであろう。排水溝に吸い込まれる水のように、クラスメートの数は減っていき、その数は零となった。僕は、とってもがっかりした。

 夕暮れの風の中、僕は例の『はてしない物語』を片手に学校から自宅へと帰った。ランドセルを置いて、一息ついたところで、畳の上で表紙が赤がね色で、異様な雰囲気を漂わせているその本に目をやった。はてしない物語——分厚い上に、字も小さく、中は二色で印刷されている。いったいどういう内容で、どういうジャンルなのだろうか。題名だけを見ても、何も分からない。

 実のところ、この頃の僕は、ストーリーが長い本、レベルが高くて難解な本などを読んでいると、紹介のあらすじだけは丁寧に読むが、後は決まってその本文の長さに途中からつらくなる。そして飛ばし読みを開始するのである。
 
 それはさておき、この本はあらすじがないので仕方なく、きちんと一ページ目から読み始めてみた。字の小ささはつらかったが、むしろ内容がワクワクする本の世界にグングン引き込まれていったのである。嬉しくなって毎日読み続け、努力が報われた。一ヶ月足らずで、僕は五百ページ余りもある超分厚い本を読み終えたのである。これ以来、僕は飛ばし読みをすることがほとんど無くなった。はてしなく続くように長かった本よ、ミヒャエル・エンデよ、有り難う。(笑)

 それから、三年経った五年生の時、僕は再度『はてしない物語』に挑戦してみた。初めて読んだ頃以上に楽しめた上に、色々考えさせられることも多く、たくさんの発見があったことに驚かされた。

 例えば、ファンタージエンに広がる正体不明の虚無。これはいわゆる現代人の不安そのものである。今の世の中、戦争・雇用・年金などの様々な不安を抱えて生きていく現代人は、怒濤の波のように押し寄せる不安に、心のゆとりや夢・希望が奪われ、自殺者や理由のない殺人が増えているのである。これこそが現代社会の虚無をファンタージエンにおける虚無をとして表したのではないか。この小説は現代の人々へ向けた警告なのかもしれない、などと色々考えさせられた。

 読書とは、一方的に情報を受け取ることではなく、読む人の年齢や経験・知識などによって様々な捉え方をされる。最初は、年齢が若かったり経験が浅かったりするので、少しの情報しか得ることが出来ない。しかし知識や経験を重ねるごとに深く読むことが出来、多くの情報を受け取ることが出来るのである。同様に何度も繰り返し読むことにより、自分にとってその本の深みが増していくのである。本をたくさん読むということは、読書の経験とともに人生の経験も積み重ねるということであろう。
 読書が好きな人は、多かれ少なかれ、学習が好きなはずである。何故なら、読書とは、本を通して、学ぶことだからである。楽しみながら学ぶ、せっかくの機会を失っては、あまりにも惜しい。だから、飛ばし読みなんかせずに深く深く(マリアナ海溝よりも)深く読んで、理解することをここでみんなにすすめたいと思う。


   講評   siro

 『はてしない物語』を二度目に読んだときのことを詳しく書いてくれました。「この小説は現代の人々へ向けた警告なのかもしれない」などという読み取りはすばらしいですね。これらのことを具体的にすることにより、感想文全体のテーマが絞られ、よくまとまりましたね。

毎月の学年別「森リン大賞」作品集森リンの丘 
 自動採点ソフト「森リン」で上位になった作文を掲載しています。
 しかし、子供たちの実力はそれぞれ個性的です。上手に書けている子の作文を見せて、自分の子供の作文と比較しないようにお願いします。

作文教室受講案内   無料体験学習   作文講師資格 
Online作文教室 言葉の森  「特定商取引に関する法律」に基づく表示」  「プライバシーポリシー」 
お電話によるお問合せは、0120-22-3987(平日9:00-19:30)