低学年から学力の基礎を作る
作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)
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「ユーモアについて、話が」の感想文 (清書) えかれ
この文はイギリス人のユーモアに対する感覚を説明して、ユーモアのセンスについての筆者の考えを述べている。イギリス人はユーモアのセンスに特別なプライドを持っていて、そしてとても敏感である。それに対して日本人はユーモア感覚をイギリス人ほど高く評価していない。ユーモアというものは論理で解釈できるものではなく、それを受信する装置が必要で、このことをユーモアのセンスだと筆者は書いている。
僕はこの文中の「自動車のハンドルに遊びがあるからこそ、自動車を安全に運転することができる」というフレーズでユーモアの必要性が十分に分かった。まじめに休むこともない生活では長くは続かない。どこかで気を抜いたり、楽しんだりしなければ生きていくのはとても難しい。人生という自動車を安全運転するにも遊びというユーモアが必要だろう。でも僕の場合は“遊び”が多すぎるといつも両親にしかられる。
僕はこの筆者の書いた一部のことに反対の意見もある。それは筆者がイギリス人はとてもユーモラスであると述べていることだ。僕の経験では学校の先生のなかで、ユーモラスな人は残念ながら見当たらない。先生達はとてもまじめで、クラスの生徒が冗談を言うと怒る先生ばかりだ。もちろん授業中も笑い声がどこからも聞こえてこない。いつも気難しい顔をしている先生たちを見るとイギリス人がユーモアに敏感であるとはとても思えない。でも僕は父から面白い話を聴いたことがある。それは狂牛病がマスコミでさかんに話題になっているとき、あるイギリスの新聞社が、牛の絵を大きく描きその下に“Best before 1950”(賞味期限は1950年まで)と書かれていた話だ。父はこれをブラックユーモアと教えてくれた。この話を聞くとやはりイギリス人はユーモアがあるような気もする。
ユーモアは人との会話のなかでとても大切なものだと僕は思う。特に落ち込んでいるときには励みにもなる。友達と話をしているときはユーモアがあればもっと仲良くなることができる。ぼくは日本人の補習校の友達からいつもユーモラスと言われる。けれどもなぜ、僕がユーモラスなのか自分ではよく分からない。それは人を笑わせるために意識をして話しているのではないからだ。でも友達から「君と一緒にいたら楽しい。」と言われると嬉しくなる。ぼくはこれからもユーモアを理解できて、そしてユーモアのある人になりたい。
講評 nakahi
狂牛病に関するジョークはたくさん出回りましたね。
↓は“にやっ”とする程度かな。(USDA:アメリカ農務省)
でも、こんなの日本の新聞だと非難の的になるよねぇ。。。
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