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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

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   自然と人間   シュシュ

 夕方のニュースの特集で最近よく見るテーマがある。「都会に増加!スズメバチの巣」や「凶暴!アライグマに襲われる」(因みに題は私が適当に考えた)などの都会化してきた動物による被害についてだ。なぜそのような動物が都会化してきたかは、もちろん動物の住処である自然が人間によって壊された、が大きな理由だと思う。それなのに、さも動物たちを悪者のようにして駆除していく報道には矛盾を感じる。日本は今まで、自然を人間によって管理していくことを大切にしてきたが、私は人間だって、自然の中のたんなる一つの生物という意識を持って生きていきたいと思う。
 そのための方法は第一に、身近な生活の中から自然との共存を気にかけることだ。私の家はマンションなのだが、一階なので庭がついている。父が一時期凝っていたけれど、特にガーデニングはやっていない。対して、両隣の庭はすばらしい。もちろん綺麗な芝生で、タイルがしいてあったり、レンガの花壇に色とりどりの花がさいていたりする。隣の人が雑草をぬいたりしているのもよく見るし、とても手入れの行き届いた庭だ。しかし、庭に生えているものは全てが自然の産物であるのに、人間からの視点で「きれい」などの基準を決め、それに合格しなかったものは、抜いてしまうのだ。つまり、どんなに整っていて素敵な庭でも、それは完全な自然ではない。むしろ、綺麗であれば綺麗なほど、管理された人工的なものであり本来の自然からは遠ざかっていくのだ。自然と共存するには、もっと草ぼうぼうで蚊がブンブンとんでいる庭の方が良い。とすると、私の家の何もされていない庭は、ありのままの自然ということになる。「雑草ばかりだとみっともない」などと言う人もいるが、いったい誰が雑草をみっともないものと決めたのだろうか。
 第二に、消費者と生産者との関係を、もっと強くて信頼のあるものにすることが必要だ。都会のスーパーなどで売られているキュウリはまっすぐなものばかりだが、実際収穫されるものには曲がったキュウリもある。しかし、農家はそれを出荷しない。農家側は、都会では綺麗なものしか売れないと思い、自分の家で食べたり捨てたりしているのだ。別に私は曲がったのでも気にしないが、都会で形の悪いものは売れないということになっているらしい。しかし、形によって野菜を分けるということは、自然をコントロールすることにつながる。私を含めた都会の人々は、それに気付いていないのだと思う。双方が理解しあって、選別することなく自然からのものをまるごと受け入れることができたら良いと思った。
 確かに、自然は厳しく、人間にとっては不都合なものでもある。しかし、本当に大切なことは、地球は、人間以外のたくさんの生物によって成り立っているのであり、そのバランスを崩してはいけないということだ。「存在するものには、良いとか悪いとかを言う前に、すべてそれなりの理由がある」という名言のように、どんなに人間にとって邪魔なものでも、自然にとってはなくてはならないものが多いのだから、勝手に駆除などをしてはいけないのだ。環境問題がさかんに報じられる今こそ、真剣に地球に住む生物としての人間の立場を考えていかなくてはいけない。

   講評   miri


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