国語読解力は、あらゆる学力の基礎。問題集読書の復読と、読解検定の自主解説で確実に力がつく
作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)
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自然にふれて…… Auror
子供たちにはズバリ、トンボ採りを体験させるべきだと考えている。トンボそのものが、ある年齢の子供たちにとって「かけがえのない美」の対象だと考えているからである。子供の欲望は、大人たちのそれとは違い、対象に稀少価値があるからというのではない。確かに、今の子供たちに虫採りをさせてみると、やたら数ばかり競う傾向が認められる。しかし、これは子供の遊びに関わる文化が退廃しているからにほかならない。僕は子供が自然とふれあえる環境にしていけるように生きたい。
そのための第一の方法は、大人たちも自然と関わる必要がある。今、自然とふれあえる環境が少ないのは、いろいろな意味で大人のせいであると思う。大人たちが、街を開発して虫を捕まえる場所がなくなったり、どんぐりを拾って遊んでみる場所がなくなったり、花を摘んでみたりする場所もない。もちろん、田舎や山などに行けばいくらでもそんな場所はあるだろう。まずは都会の身近なところから、前述したような遊びをできるようなところを見つけ、そして大人も子供と一緒になって遊ぶべきだと思う。そうすることによって、大人も自然の大切さを再確認できると思う。子供と自然の距離は縮まり、また大人と子供の距離も縮まると思う。一石二鳥ではないだろうか。
第二の方法は、学校でもそういう体験を増やすべきだ。少し前から、ゆとり教育の一環としてだと思うが、完全週休二日制になった。しかし、その週休の二日ともを有意義に過ごしている人は極少数だと思う。そこで、土曜日を学校の授業の一つとして考えてもよいので、なんらかの体験学習をする日にしてみるといいと思う。ボランティアだったり、清掃活動だったりでいいと思う。その中で自然とふれあうといいのではないだろうか。学校の授業としてやれば、誰でも欠席しない限りそれに参加することになる。そうすれば、自然とふれあう楽しさを知ることができるかもしれない。僕は自然とふれあうのが嫌いだ。虫や植物などに興味はない。と言うより、それらが好きではないのだ。虫などを見たときに、最初の発想は「気持ちが悪い」といったものだ。僕が小さい子供だった頃に、そのように土曜日が有意義に使われていたら、少しは自然とふれあって、虫嫌いにならなかったかもしれない。(笑)
確かに、社会的な事情から考えると、自然を破壊して近代的な都市を開発していかなければならない。しかし、街を発達させるだけではなく、子供たちに自然を体験させて、子供たちを発達させていかなければならない。「経験は、最良の教師である」という名言があるが、子供たちが育っていく中で自然にふれるという経験は非常に大事である。だからこそ、僕は子供が自然とふれあえる環境にしていけるように生きたい。
講評 hota
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しかし、子供たちの実力はそれぞれ個性的です。上手に書けている子の作文を見せて、自分の子供の作文と比較しないようにお願いします。
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