国語読解力は、あらゆる学力の基礎。問題集読書の復読と、読解検定の自主解説で確実に力がつく
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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

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   スポーツと芸術的スポ—ツを……   クラシック

ピックの正式種目にも加わった。シンクロナイズドスイミングや新体操などは、あらゆる意味合いで他の種目と比較しても全く異質のスポーツと言えよう。新体操は果たして走るだろうか、打つだろうか、蹴るだろうか。これらのスポーツは、どれだけ美しい瞬間をシャッターのように細切れにして見るものに感動を与えるかということを競うばかりである。だからこそ、もし、大戦下にこういったスポーツがオリンピックの正式種目として提案されたなら、各国はこぞってこれを取り潰しにかかったに違いない。
 とすれば近代において、そういった国民のいや国家の考え方が少しづつではあるが変わり始めているのであろう。確かにいまだ、芸術的スポーツは他のアスリートや少なからず観客からから見下されている傾向にあると聞く。彼らは言う『あんな競技より我々の競技の方が多大な努力を必要とし、多大な価値をもたらす』果たしてそうであろうか、これらの種目は平和の産物であるが、決して堕落の産物ではない。それどころか、この全く新しい競技はかつてのそれをある秤では、超過した言わば進化したスポーツなのだ。
 かつてまだ第二次世界大戦下であった頃のオリンピックにおける軍事主義の強い国家では、スポーツは常に軍事的な意味合いと結び付けられてきたのである。メダルや記録の数は名誉であり、走って、打って、蹴って、相手を叩きのめすということは、正に国民の使命であり、いわば国家的国民的な意味合いでの素晴らしい人間と駄目人間を計る物差しであった。国家的代表のアスリートの強さはつまりその国家の強さであり、また彼の愛国心の強さはその国の偉大さである。国家を背負った選手は既に選手ではなく兵士であったのだ。国の威信をかけて競う彼らにとっては体力が全てであり、芸術的スポーツなど、無駄な産物にすぎなかった。ほんの少しばかり前、この物差しはバキリと折れ、セロテープがなければ元に戻らなくなると、アスリート達がこういったプレッシャ—から逃れ、私的な個性に従う事で、純粋に競技を、今まで以上にいわゆるスポーツマンシップにも紳士的行為にも則ってプレイできるようになると、やっと芸術的スポ—ツも評価を仰ぐ土台に立つ事ができるようになったのだ。
 こういった競技が報われなかった他の原因を挙げるならば、やはりその競技性の胡散臭さにもあるのではないか。スポーツには美しさがある。そして、力をぶつけ、限界まで競り合う競技において、この美しさは言わば醜さを伴わずにはいられない美しさである。つまり、この美しさは常に醜さとあるいはただの映像とを基盤として存在し、故にほんの一瞬の美しさは感動的に我々の心を打つのだ。これらの醜さを伴うスポーツにとって、美しさを競う芸術的スポーツはどれだけ嘘臭く思われたことであろうか。
 確かにこれらのスポーツには言わば演劇的な意味合いも多少含まれている。80%その結末は決まっており、残る20%にはただ合いの子である勝敗と評価があるばかりである。しかし、演劇を見てつまらないという人間が少ないのと同様にこの種目は見るものに一種の何か奇妙なたのスポーツでは味わえない面白さと感動を与えるのである。これら演劇が、即ちこれらの演出の産物がスポーツのある意味での進化形態であるという理由がここにある。つまり、このスポーツは醜さどころかその他のあらゆる凡庸を否定し美しさだけを肯定したのである。通常のスポーツが芸術的スポーツに勝っている、劣っている、そんな評価は愚の骨頂であろう。そもそもこの二つのスポーツのベクトルはまるっきり異なっているのである。つまり、競い合っているのが同じ場所と言うだけで、そもそもの土俵は全く違うのである。北海道の薄っすらと雪を被ったポプラの並木とローマの古い石畳を古代を背負って連なるプラタナスを比べてどちらが優れていると言えよう。ニュートンと孔子を比べてどちらの方が聡明だと言えよう。我々は芸術的スポーツなどにケチをつける時にも打って変わって激賞をする時にも、必ず他のスポーツと比較するが、結局そんなものは花に笑いかけたり説法しているようなものだと分からないのだ。芸術的スポーツの土俵と他のスポーツの土俵が違うということをはっきりと理解しない限り、評価はこれ以上たいして変わらないであろうし、その真の意味でのすばらしさも、単にちらちらと頭をかすめるだけで理解されることはないだろう。

   講評   nane

 芸術スポーツの本質をよく捉えているね。
 これは、スポーツの発展した形というよりも、文化の成熟に伴ってスポーツに新しい面が付け加わったと考えた方がよさそう。体力を競うようなスポーツも一方では残るし、芸術性を強調するスポーツも更に発展する。スポーツという言葉でくくれるものが、これまでよりも広くなっていると言えるのかもしれない。
 ところで、冒頭の社会問題は、もう少し絞っていくとあとの展開がしやすいかも。クラシック君は、哲学的・文学的な方向に論じる面が強いので(笑)逆に、社会科学的に論じる方向を意識的に打ち出していくといい。
 今回の場合は単純に、スポーツに芸術的な評価が求められているのに、いまだに古い価値観だけでスポーツを考えているという社会の問題になるかなあ。
 書いているうちに意見が深まり書くことが変わってくることは当然あるけど、冒頭で主題をしっかり押さえておくと、結びもそれに関連させてまとめやすくなる。小論文の試験はまだ先だけど、試験などのときは、特にそういう書き方が必要になる。

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