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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

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   日本の伝統美   高原 八千穂

 欧米の美術館に所蔵されている日本の美術品には、技巧をつくして陰翳を表現した掛け軸や書、豪華絢爛な刺繍を施した着物、茶器、歌舞伎役者の顔を描いた絵など、数限りない芸術品の多くが戦利品として、海を渡った。ボストン近代美術館で、ニューヨークのメトロポリタン美術館で、私は日本の美術品たちと出逢った。日本の伝統といえば、技巧の限りを尽くした精密な計算された美しさの特徴を持つもの、また、歌舞伎のような庶民の生活の要素を取り入れた特徴を持つもの、いずれも日本固有の伝統文化として、世界の中で特徴ある「日本の伝統美」として位置づけられている。AとBの資料は、相反する側面から日本の伝統美を捉えている。Aの資料は、縄文式土器に見られる民族の情熱が感じられる力強い美しさ、Bの資料は、日本座敷に見られる技巧を凝らした日本の幽玄の美について論じている。この2つの資料から、現代に生きる我々は、日本の伝統をどのように捉えていくべきかの考察を述べる。
 第一にAの資料に見られるような、当時の人々の暮らしの中から生まれ、現在まで続いているものとして、日本の祭りが挙げられるであろう。その土地その土地で、豊漁、豊作を祈願し、祭りが行われる。七年に一度行われる信州諏訪大社の、御柱祭はその雄大なスケールから、見物客が押し寄せ、日本全国版のニュースとして報道される。諏訪の街は2ヶ月間祭り一色に染まる。その歴史は少なくとも千二百年以上前に始まり、御柱は、五穀豊穣を祈願し、狩猟や農耕の神として信仰されてきた。見せ場となる木落としでは、命知らずの男たちが、山を滑り落ちる木に這い登り、熱気は最高潮に達する。毎回必ず怪我人が出る。日本全国では、このように必ずといっていいほど死傷者をともなう祭りが、千年以上の歴史を経て、今も尚受け継がれている。庶民の生活を豊かであることを祈り、自然の恵みを神に祈るための祭りは、人々の生命に通じる熱い思い、力強さにあふれている。この伝統的な日本の祭りに見られる熱く情熱的な血は脈々と現在の私たちに流れているのだ。
 第二に、Bの資料に見られる日本の芸術品に見られる幽玄の美について、私たちの生活の中に、これに通じるものをしばしば感じることがある。私は幼少の頃より、書道に親しんで来た。書道を基盤とした創作的な書も学んだ経験がある。総合的に書を通して、私が学んだことは、書の作品は白い紙に黒い墨を落とした字を書くことではなく、黒い墨を落とすことで、背後の白い空間を、どう作りだすかということだ。墨を落として文字を書いていない部分にできる白い間が、作品の全体的な雰囲気を作りあげる。また、創作的な書では、墨の濃淡を利用して、字に奥行きを持たせることで、陰翳を作りだす。
日本料理では、季節ごとの旬の食材使い、器の中に季節を表現する芸術だと称される。いずれも、日本の自然や風土や四季の恵みに感謝し、計算され、洗練された技巧によって、作品となる。このような繊細さの中に、技術を凝らした美しさを表現する芸術もまた、日本の伝統の美である。
 洗練された技巧を凝らした美と、生き生きと力強く生命力にあふれた美と、双方が日本の伝統の美であり、そのどちらも、我々の身近な生活に見ることができる。一見すると相反する2つの日本の伝統の美であるが、違いは表現方法の違いであり、双方には、共通して日本の四季や自然からの恵みに対する感謝が根ざしている。日本の伝統をどう現代に取り入れていくかは、伝統を狭い解釈に固執して捉えるのではなく、現代の視点から、伝統を捉えて、先人たちが伝えてきた自然、風土、文化への感謝の心を伝えていくことが、現代に生きるものの使命だと私は思う。日本の伝統の美は繊細で洗練された技巧にあるのではなく、日本の伝統の真髄となる四季折々の季節によって自然がもたらす海や山からの恵みに感謝する心、季節の彩りをみせる木々や花の色をもたらす豊かな風土への敬意を表する日本人の心にあるのだ。

   講評   nane

 冒頭の問題提起は、今回もよく書けていますが、「どのように捉えていくべきかを述べる」というところで書き出すと、最後の意見がよほどはっきり決まっていないかぎり、展開がしにくくなる可能性があります。
 特に、今回は、AとB二つの文章が正反対のことを述べているので、総合化をどうまとめていくか考えてから書き出すのが大事です。
 結びの意見は、両者に共通する「自然への感謝」ということでまとめたのですね。最後の部分がちょっとわかりにくくなったかもしれません。
 総合化の仕方としては、表現の外見は違うが中身の本質は同じという形か、過去の伝統は大事だがそれは未来に生かすときに初めて意味があるという形にするといいと思います。一言で言えば、明るく元気な日本も、繊細で細やかな日本もあるが、どちらも同じ日本だということでしょう。どちらの伝統を生かすかを論議するよりも先に、現代に価値ある創造することが先決だ、のように書いていくとまとめやすいと思います。
 つまり、縄文の伝統を生かしたレベルの低い現代芸術も、繊細さを生かした低レベルの芸術作品もあるわけですから、大事なことはそれ自体に価値ある現代の芸術を創造することだということです。その創造の中に、伝統はあとから位置づけられるのであって、伝統が先にあるのではないということで書いていくといいと思います。

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