国語読解力は、あらゆる学力の基礎。問題集読書の復読と、読解検定の自主解説で確実に力がつく
国語読解力は、あらゆる学力の基礎。問題集読書の復読と、読解検定の自主解説で確実に力がつく。

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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

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   言葉を超えた対話を目指して   えうあ

 「対話」とは、自分と、自分以外の人と話しをして、双方に意見を交換することである。相手の考えを知り、それに触発されて、自分の考えや意見を発展させることが双方にできれば、それは、成功した対話であるといえるであろう。昨今、親子間の対話が減っていることは、新聞などでよく目にすることである。
テレビで放映される討論会などは、政治家たちが、相手の意見などには耳を傾けることもなく、ただ自分の意見を一方的に主張して終わる。本来の意味での「対話」や、「討論」とはかけ離れた、自分の意見の発表会止まりのお粗末な内容だ。対話とは、「さあ、対話をしましょう。」といっていきなりできるものではない。対話ができる土台が備わっていなければ、対話は成り立たないのである。もともと日本人は、コミュニケーションが下手であるというのはよく言われることだ。AとBの資料を参考に、対話を不得手とする日本人の背景を理解し、今後の方策についての考察を述べる。
 Aの資料に見られるように、言わなくてもわかる「察し」や「思いやり」という日本人的な考え方は、禅の精神の影響があると言われている。しかし、Aの資料の著者は、狩猟民族には必要不可欠である明確にシグナルを伝えるための言葉が、日本人の言語の発生と成長の段階で、農耕民族であったことから、いたわり、はげまし、といった、情緒的な対話となったのではないかと論じている。アメリカでの生活で、私が学んだことは、「自分の意見を伝えない」ことは、「自分の存在がない」ということである。自分の思ったこと、考えたことを、伝える努力をしなくては、その人は、そこにいないのと同じなのだ。アメリカでは、小学校低学年で、自分自身のことをうまく表現できない生徒には、スピーチクリニックという機会が学校で設けられて、自分自身のこと、自分の意見を主張することを学習するという。このものさしを当てれば、おそらく、多くの日本人成人が、スピーチクリニックを受けなければならないであろう。こうして、アメリカの子供たちは、自分の考えを主張することを幼少のころから学習して育つのだ。成人になって、いきなり意見を述べ始めるのではない。また、日本は、島国ということから、他の国の影響を受けにくく、元来、単一民族で構成される国であることもあり、一般的な「常識」という線が引きやすかった土壌があると思われる。同じ民族同士、同じ基盤を持ち、お互いの考えを察することが可能であった背景が大きく影響しているのではないだろうか。しかし、今や日本には、多くの外国人も居住し、国際化している。インターネットをはじめ、世界の情報は速報として流れ、その影響も大きい。これらを考慮すると、「言わなくてもわかるから、言う必要がない。」としてきた日本人の対話の根底が揺らぎつつあると言えるであろう。
 対話をするために、我々はこの先どのような方策ととるべきかを考えてみたい。Bの資料に見られるように、日本人は、異質なものを、自分たちの使う平易な言葉を用いて表現する努力を怠って、日本語にならない言葉がまかり通っている。近年、マスメディアを通じて、日本人には馴染みがない異国の言葉が流行語として持てはやされる現状がある。「マニフェスト」は、そのさいたるものであろう。昨今、英語を用語として、そのまま載せたり、英語をカタカナにしただけの言葉を使った用語が、ホームページ上でも多く見受けられる。分けがわからない言葉が氾濫している。読み手は誰で、どんなことを理解してほしいのか、発信する方が把握しきれていない混乱が伺える。異国から入った用語や文化を、日本人の我々は、日本人の言葉で、日本人にわかりやすく説明し、理解してはじめて、新しいものを受け入れることができるのだと思う。その努力なくして、真の理解や受容にはつながらないであろう。
 確かに、日本人の中に見られる、他と協調することの大切さ、言わなくても察することを重んじる考え方は、いかにも日本人らしく、温厚な気質も、ここに根ざしていると思われる。しかし、将来も国際化しつづける日本にとって、異なる国、民族、宗教を持つ人たちと、真の意味での「対話」は、お互いを理解するためには不可欠である。我々は、元来不得手としてきた、言葉で自分の考えを表現する努力を惜しまず、積極的に、対話をしていく姿勢が必要となる。まずは、我々の生活に入ってくるあらゆるものを、日本人として、日本語で表現し、真意を理解することからはじめよう。真の「対話」とは、単に言葉のキャッチボールではない、言葉を超えた気持ちを交換することである。それが出来てはじめて、互いに通じ合う「対話」をすることができるのだ。

   講評   nane

 冒頭の問題提起がわかりやすく書けています。政治討論会に限らず、学校でも職場でも、既に結論が決まっているというような話し合いが多いですね。
 小学校低学年でのスピーチクリニックというのは、日本では当分考えられないことです。こういうコミュニケーションで鍛えられた子と、寡黙が善であるという雰囲気の中で育った子とでは、大人になってからのディベート力にだいぶ差が出てきそうです。
 Bの文章をうまく対策に生かしました。わかりにくい言葉を使うのは、正直に伝えたくない気持ちが内心にあるからでしょう。マニフェストなども、「本当に守る公約」などと言い換えればいいのかもしれません。
 「真の対話とは……」は名言になっています。
 書き出しを説明的に始めずに、情景描写などで工夫しておいて、その書き出しのキーワードを入れた形で名言を作ると、更に切れ味のいいまとめ方になると思います。言うは易く……ですが。

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