創造と発表の新しい学力
作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)
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子供の心 ぷぅ
大人になって毎日同じようなことを繰り返していると、あまり「ふしぎ」なことはなくなってくる。しかし子どもは「ふしぎ」と思う事に対して、大人から教えてもらうことによって知識を吸収していくが、時に自分なりに「ふしぎ」な事に対して自分なりの説明を考えつくときもある。その説明は、短い言語でも、それは人間の体験した「ふしぎ」、「おどろき」などを心に収めるために物語になっていたのだ。今では、科学的な説明がほとんどであり、物語的な説明は幼稚なものだと見なされている。しかし、私たちは、自分の心のなかのことや、自分と世界とのかかわりをなくさないために、物語的説明の重要性も見直していくべきだと思う。
そのための第一の方法として、子供の感性を失わないようにすることである。私が小さい頃、物をなくしたりすると、先生も親も、「物に手足が生えて歩いていった」などと言っていた。今で考えるとありえない話なのだが、純粋だった私はすんなりそれを信じて、納得していた。子供だからこそこういう話が通るのである。このような子供の感性があれば、自分の心の中の考えとのかかわりもある。
第二の方法としては、大人が子供に科学的な説明をしすぎないことである。子供に太陽が沈む理由、虫が鳴く理由、物が落ちる理由などを聞かれたときに、科学的に説明していても、知らない言葉ばかりがでてきて、理解できるはずがない。イメージすらわかないであろう。そんなことでは余計に子供は疑問を抱くだけであろう。後々勉強していって、知ることでもある。子供の頃は、本人が理解できるよう、納得できるであろう範囲で大人は物事の説明をすべきなのである。
確かに、科学的説明をせずに、物語的な説明だけを延々つづけていても、その子供は事実をしることができないので、良いとはいえないだろう。しかし、人によって理解できること、物のとらえ方はそれぞれであるから、その人の成長に合わせて、その人が納得のいくような説明をすればよいのだ。まずは子供の心で物事をとらえていくと、自分と世界のかかわりもなくならないはずだ。
講評 kira
ぷぅさん、こんにちは。ひどい台風のつぎにはひどい地震。自然災害とさらっと流せないものを感じますね。天変地異というとおおげさかなあ。気象庁は科学的な説明をしてくれますが、このときお年寄りが発する反省の言葉のほうが重みをもって受け止められそうな気がします。
子どもらしい感性を失わないようにするという方法をあげました。これは何も幼稚なまま成長せよと言うことではないんだよね。神秘さや美しさに目を見張り驚く心は子ども時代にしか育たないと思います。またまた台風の話題ですが、浸水して湖のようになった町をお父さんといっしょに見ている小さな子どもの会話がニュースで流れていました。「あしたになったら、おさかなをつったらいいよ、おとうさん。」「たいふう、いつになったらやめてくれるのかなあ」
物に手足がはえることは、我が家では今でも頻繁におこります。超常現象です。(笑)
科学的な説明は、探究心をそいでしまうことにもまりますね。子どもが「ふしぎだなあ、なんでだろう」と目を輝かせているときに、「これはね・・・というわけなんだよ」と話を完結させてしまうのはいかにもむごい感じです。といいながら、先生はけっこうこれを子どもにやってきたのかもしれません。(切腹)←ギター侍
勉強嫌い、とくに理科離れが進んだ今の子どもたちを育ててしまったのは、実はお勉強しすぎた今の親たちなのかもしれないね。もっと昔話をたくさん知っていて、不思議がっている子どもたちをふやしたいね。
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しかし、子供たちの実力はそれぞれ個性的です。上手に書けている子の作文を見せて、自分の子供の作文と比較しないようにお願いします。
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