国語読解力は、あらゆる学力の基礎。問題集読書の復読と、読解検定の自主解説で確実に力がつく
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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

小学1・2年生   小学3・4年生   小学5・6年生   中学1・2・3年生   高校1・2・3年生

   信じる=自分   ナッチ

 「ああすれば、こうなる」型の社会では、さらに違った側面が現れる。その一つは、時間の変質である。頭の中では、時間は過去、現在、未来に三分割される。ところが、時間直線を描けばわかるように、「現在」とはその時間直線の上の一点に過ぎない。それはただちに未来から過去へと繰り込まれる、時の瞬間に過ぎないのである。それなら未来とはなにか。本来の未来とは、なにが起こるかわからない「ああすれば、こうなる」で拘束されていない時間である。人の一生でいうなら、生老病死を隠してしまう。人はいまでは病院で生まれ、いつの間にか老いて組織を「定年」となり、あるいは施設に入り、やがて病院で死ぬ。日常の世界では、そういうものは「見ない」ことになる。政治家が国家百年を思わなくなった。医師は、もっぱら患者の検査に没頭する。それはすべてが現在化したからである。その答があるということは、つまり「ああすれば、こうなる」が成立するということである。(構成)
 「いま、生きている」 これがどれくらい素晴らしいことなのか?「生きている」ことの素晴らしさは作文では語りきれないかもしれない。それではもし、自分が家畜に生まれてとしたら…?と考える。家畜のほとんどが「自由」を奪われているというより、「自由な時間」を奪われている。あと何日、何時間で殺されるかも分からない人生をどう楽しめとうのだ?…と考えると人間はかなり自由である。だから今生きている時間は相当な代物だ。(構成)
 「おう…なんて幸せなんだ…!」
私は「今生きている」ということを実感するには未来を犠牲にするのでもない。未来を幸せにするには今を犠牲にするのでもない。ただ、今を実感していればいいのである。それが一番幸せである。(理由一)私が小三のとき始めての「クラス替え」をした。私の元のクラスのメンバーは少なく、その上私と同じ名前の「なつみ」という人がいる。みんな「なっちゃん」だの「なちゅ」だの言っているから紛らわしくてたまらなかった。ある日歩いていると「なっちゃん!」と呼ばれたような気がして振り返ると、また違う名前の「なつみ」がいた。
(ハァー!?またかよ…。)
と思ってまた歩き出した。そしてまた「なっちゃん!」と呼ばれてまためんどくさそうな感じで振り返った。するとその「なつみ」がいた
「あー、良かったァ!呼んでもシカトするからチョットビビッたぁ!あーっと、アタシと同じ名前だから一回くらい喋ったほうが得!?ジャン。ね!?」
 「……え!?そんだけえ!?…。」
とチョットびっくりしたが「フレンドリー」だったので許した。
「じゃあ、今度ポコペンしようね〜!」
といわれて走っていってしまった。私はうれしかった。「求められる」ことでこんなに快感を得られるのはすごかった。
 確かに「生きる」ことだけ考えすぎるのもどうかと思うが、やっぱり「生きる」ということを考え深めることによって「自分」を深められると思う。「才能とは自分自身をしんずることである」という名言がある。「人生」を深めるには、「自分」に打ち勝つことが大切であるといえる。(構成)

   講評   nara

 「おう…なんて幸せなんだ…!」この後に続く文が素晴らしい。「ただ、今を実感していればいい」ここはストレートな表現で、胸に響く。自作名言といってもよさそうだね。幸せを感じる瞬間は、確かに過去も未来もないように思う。「今までがんばってきたから」とか「この幸せが続きますように」などは、幸せを実感した瞬間ではなく、よくも悪くも落ち着きを取り戻したときに感じることなのかもね。
 ちびなっちゃん(笑)が登場すると、かわいらしさと、妙な落ち着きぶりと、落ち着かなさと、その混在した雰囲気が味を出している。テーマに関わらず、個人的には大好きだ! 敢えて「テーマに関わらず」と書いたのは、今回の長文・感想文の主題である「今を生きる」ということと、ちびなっちゃんが感じた「求められることの快感」が、やや重なりがあいまいだから。そして、最終段落の「生きることを深める」ということが、「今を生きる」とどう関わるかがわかりにくいから。
 一つ一つの説明は、なるほどと思わせるものだけれど、そのつながり・関連性の説明が少ないのだろうね。おそらく、なっちゃんの頭の中ではつながっているだろうこと。それを文章で説明するときは、「ちょっとくどい!?」と思うくらい言葉を費やすくらいで、実際には「わかりやすい」という印象になるようだ。
 【題材:データ実例長文実例】 「ああすればこうなる」の例として、たとえば通塾のデータなどが使えそうだよ。何のために塾に行くのか? 学ぶことの楽しさを知るため……というよりかは、「成績を上げるため」「受験のため」という将来のためにという人がほとんどではないかな。

毎月の学年別「森リン大賞」作品集森リンの丘 
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 しかし、子供たちの実力はそれぞれ個性的です。上手に書けている子の作文を見せて、自分の子供の作文と比較しないようにお願いします。

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