国語読解力は、あらゆる学力の基礎。問題集読書の復読と、読解検定の自主解説で確実に力がつく
国語読解力は、あらゆる学力の基礎。問題集読書の復読と、読解検定の自主解説で確実に力がつく。

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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

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   伝えたい文化   たこ焼き


 この夏、私は全国各地の小学五年生から中学二年生と共に、パラオ共和国に行ってきた。ジャングルトレッキングやシュノーケリング等を通し、大自然の中で過ごすことができた。そして、なによりも忘れ難いのが無人島で過ごした二泊三日である。
 無人島では、飲み水は特に貴重である。共同で使う水は歯磨きにだけであり、その他はタンクに溜めた雨水を使わなければならない。しかし、その雨水にも限りがあるため、無駄遣いはもっての外であった。人間は、三十日分の水があれば三十日は生きることが可能と言われている。飲み水は無人島だけでなく、すべての場所に大切なものである。しかし、私達の生活は、水道の蛇口を少し捻るだけで水が出てくる。そのため、水に対する有り難みは薄い。
 しかし、無人島での生活は、思ったより馴染みやすかった。なぜだろうか。無人島では不便なことが多い。しかし、何かが私の心を変えた。
 日本に帰国した私は、コンクリートの中にいた。視界に入るものは、すべて人間が作り出したものだけ。洗濯機、冷蔵庫、電話、パソコン・・・・・・。これらは、とても便利な物である。つい少し前までは、毎日の日課の一つだった洗濯も、今はボタンを押すだけで乾いてしまうものができた。面倒な事は機械に任せ、人々は個人の時間を設けることが可能となり、生活はとても便利となった。私もその恩恵にあずかり、快適な毎日を過ごしている。 しかし、便利すぎることには問題も生まれる。機械化が進み過ぎて、人間が操作できなくなったり、機械にばかり頼っていて、自分の力で簡単にできることも、できないようになってしまったりしたことなどである。
 無人島でココナッツの実を食べるとき、その場でスプーンを持っていなかったので、皮の部分を切ってスプーン代わりにして食べた。こんな物で、実を取れるのかと思ったが、スプーンを使うより取りやすかったと思う。普段は、こんなことに気づかない。無人島で過ごしてみて、人間は人工製品に頼りすぎていると改めて思った。
 また、ある人から聞いた話によると、アボリジニの一人が東京を訪ねたとき、ビルの入口の自動ドアを見てこう言ったそうだ。
「なんでこんなものが必要なのか。ドアなど手で開ければいいのではないか。」
と。私は、この話を聞いてお年寄りや障害のある方は別として、いかに無駄なものが生活を占めているかを思い知らされた。
 最近、父は寄席に足を運んでいる。寄席とは、落語、講談、手品など大衆演芸の興行場であり、元禄年間に江戸で始まった。現代社会の中ではあまり馴染みのないものだが、私は一度ずつ落語と講談を見たことがある。そのとき、心の底から笑えたので驚いた。これらは、お年寄りだけの娯楽だと思っていたからだ。父は、バーチャルではなくおもしろい話を生で聞き、人間味を実感したいと考えていたそうだ。そして父は、何度もさまざまな寄席に足を運び、「人を笑わせることは簡単ではない」と思ったそうだ。寄席の主人公は町人や長屋のおかみさんだ。義理人情を描き、相手を思いやることを落ちに、人間の心が生き生きと躍動している。人をばかにして受けを狙うテレビ番組とでは、同じ笑いでも笑う価値が違うということを言いたかったのではないだろうか。
 講談は扇子一つ、落語は扇子や手ぬぐい。そして、話術と身振りや表情だけで表現しなければならい。ほんの少ししか道具を使わないが、そこから広がる世界は無限であり、話し手の話術も加わって、見る者はぐいぐいとその世界に引き込まれる衝撃を感じずにはいられない。
 寄席が始まった江戸時代は、人々に余裕ができたため、さまざまな娯楽が発達した。こっけい本は浮世絵、浄瑠璃等が登場し、心や技を大切にした文化が創り出された。江戸時代の人々は、現代人と比べたら生き生きと生きているように見える。美術や社会の資料集で見た葛飾北斎という画家の波や桶の間に富士山がある浮世絵の、構図のおもしろさや大胆さに驚いた。物をこんなに自由にとらえられるのは、この時代が自由で伸び伸びとしていたからだろう。私だけがそう感じているのかもしれないが、自分の感性を生き生きと表現していた江戸時代の人々は、現代人より生活を楽しみ、生き生きと暮らしていたように思う。
 文化は時代と共に変化してきた。文化とは、人間の努力が積み重なったものであり、これからも積み重なるだろう。江戸時代までは、心や技の文化を発達させていたが、明治時代以降となると、科学時術を発達させてきた。科学技術の文化が進化するということは良い事であり、私達人間にとっては大変有り難いことである。しかし、一方で進化する文化と共に忘れられようとしている文化も存在している。それが、心や技を大切にした文化ではないだろうか?
 機械は人間の代わりに働き、人間はいろいろな仕事を負担しなくても良くなってきたが、人間の手で生み出す技や、人と人との関わりは薄れつつある。便利なのは確かであるが、出来る範囲の事は、自分でこなしていくべきだと思う。科学技術から離れた自然体験に参加する等して、自分の生活を今一度振り返って見てはどうだろうか。
 これからは、科学技術を発達させ、継承していくのも大切だが、忘れかけている豊かな心や技を伝える文化の継承を今一度見直す必要があるのではないかと思う。

   講評   nara

 言葉の森の課題でなくても、言葉の森で課されているキーワードを意識して盛り込むと、結果として充実した意見文が書けるはずだよ。今回は、チェック(たとえば、「一般化」など)が入っていなかったので◎はついていないけれど、内容としては十分に練ってあると思うよ。
 論の流れとしてやや気になるのは、前半の無人島体験で得た実感と、後半の日本の伝統文化への思いとのつながりが見えにくいこと。機械や出来合いの人工物を使わずに、自分の手で作り上げたもの(スプーン)を用いた生活から得た、シンプルだけれど確実な生の実感が、実は、今消えかけている文化の根っことなるものなのだ、ということを、もっと強調しておくとよかったかな。お父さんの寄席に対する解釈も、おそらくは、人間として本来持っているよりよく生きるための力を、引き継がれている文化から見出したいということではないだろうか。「本来持っている力」というものが、現代の日本社会では発露しにくくなっているのかもしれないね。
 機械化は世界の差異をなくしていく、という意見があるね。機械と原料と燃料が整えば、日本であっても日本以外であっても、できあがる工業製品は同じものとなる。科学技術の発展は、国や民族の境界をどんどん壊していくという側面もあるのだね。それがプラスとなるかマイナスとなるか、それは、機械や技術を使う人間に委ねられているということだろうな。

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