国語読解力は、あらゆる学力の基礎。問題集読書の復読と、読解検定の自主解説で確実に力がつく
国語読解力は、あらゆる学力の基礎。問題集読書の復読と、読解検定の自主解説で確実に力がつく。

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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

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   新聞というものをまるで読まない(感)   

 新聞というものをまるで読まないと言い切っている人がいる。そうかと思うと、朝手洗いで新刊書の広告を読むのが最大の楽しみだと言う人もいる。だから、本についても音楽についても、しかるべき欄ではなく、コラムのほうから得られる情報の方に生々とした関心をよぶものが多いというのは、情報の活性化の面でちょっと気にとめておく必要のある事実かも知れない。多くの人が、新聞の読書欄というものをたいしてありがたらず、本の広告の方にひそかな楽しみを託そうとするのは、自分が知っているから隠れた意味が明らかになるといった事実の極秘化の欲求の表れかも知れない。僕は、行間や余白といったものは必要だと思う。
 その理由は、行間や余白などのゆとりのものに大事なことが含まれているかもしれないからだ。無駄と思えるような話でも友達との話題で役に立ったりするかもしれない。授業でも雑談があったりすると楽しくなって集中して勉強することができるようになったりする。
 もう一つの理由は、行間や余白といったゆとりのものがないと疲れてしまうからだ。例えば学校の授業が、もし休み時間もなしに続いたら、へたへたになって最後のほうにはもう聞いていない状態になっているかもしれない。「収入増と労働時間短縮のどちらを選ぶか」というデータ(朝日新聞社 1997年)で収入増よりも時間短縮のほうが多い。時間を延ばして収入を増やすよりも、働く時間の短縮の割合が多いということはゆとりを求めているということだと思う。
 確かに、新聞は中身が主なのでそれが一番大事だ。しかし、雑草とは、まだ、その美点が発見されていない植物のことである。という名言があるように行間や余白も入って新聞なのだから、その行間や余白を大切にしていくべきだと思う。

   講評   kira


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