創造と発表の新しい学力
作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)
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ああ独断と偏見のコミュニケーション かちょうほさ
私の英語力はほとんど中学三年間の教育に依拠している。大学のLL教室の滑稽さには耐えがたかったし、一番ひどかったのがアメリカ人講師による会話のクラスであった。金髪の彼は、微笑しながら頻繁に語り掛けていたが、私はうつむいていた。それからアメリカに」留学し見知らぬ人と挨拶を交わす習慣がつらかったり、彼らの溢れるホスピタリティーに触れたりと、有難さ半分つらさ半分といったところだった。が、あるとき、一人きりになった教授が笑顔からどことなく徒労感漂う表情にもどるのを見た。そのとき、私は彼らの笑顔は意識的な努力の賜物であることを悟った。彼らは実に意識的な人々だった。たとえ気が抜けるはずの家庭においてでさえ、意志の力で支えている。理解不可能な他者の存在などの厳しい現実を乗り切る為だ。伝えようとする意志、姿勢が基本だと教えられた。アメリカ人はあんなに一生懸命いきていて疲れないのだろうか。私は笑顔ばかりに捕らわれず、自分らしく生きてゆきたい。
そのためには、自分の考えを持つことが大切だろう。皆が笑えば笑い、自分がどう思っているかにも拘わらず、いつもにこにこしていることが果たして良いことなのだろうか。私も、この筆者のように、英会話の授業にどうも馴染めない人間だ。何回受けても何回受けてもばかばかしいとしか感じることができない。にこにこしている講師から発せられる言葉といえば誉め言葉。本当にそう思っているのかどうか知れたものではない。そのような姿勢で果たしてコミュニケーションと言えるだろうか。自分の思いを伝えるからこそ交流である。機嫌よく繕って、何を思っているか相手が分からなければ、相手も戸惑うだろう。
いかに自分の気持ちを相手に伝えうるかということもまた重要になるだろう。そのまま直に言ったら相手の気を害する事もあるだろう。そこで、上手く相手に自分の意するところを伝えてゆくのである。そのような遠まわしな言い方を、外国の人は嫌うらしいが、それが日本の文化である。それを理解するのもまたコミュニケーションなのではないだろうか。日本の企業の社長も、変に外に対して愛想良くしている必要は無いと私は思う。日本人が「威厳がある」と思っているのだから、仏頂面で座っていれば良い。向田邦子の父親は、あまり感情を表に出さなかったが、心の中では実に深く彼女の妹を心配していた。いちいち表に出さなくても、遠まわしでも、相手には伝わるものだろう。(伝記)(方法)
確かに、いつも機嫌よく、愛想良く振舞っているのも人との交流の一つの手段であるだろう。だが、それが実体を伴わないものであるとしたらそれは間違っているし、逆に相手を不快にさせることもあるだろう。一番重要なのは、いかに相手を理解するかということで、それは、日本とアメリカの文化、国単位でも言える。まず、そこを理解したうえで交流を始めるべきだ。「良い友人を得たければ、自分が良い友人でなければならない」(名言)私も、理解しあえるような交流をし、良い友人を得たい。
講評 baba
<第一段落>
自分が共感する点を中心に要約しましたね。要約に続けて、「笑顔ばかりに捕らわれず、自分らしく生きてゆきたい」と生き方の主題を述べました。スムーズにつながっています。
<第二段落>
方法の一つとして「自分の考えを持つこと」を提示しました。体験もまじえながらの論述はさすがですね。
<第三段落>
方法の二つ目として、表面的な取り繕いの不要性を提示しました。向田邦子の父親のエピソードはユニークですね。
<第四段落>
反対意見への理解は、フレンドリーな態度も交流の一つの手段として認めながらも、表面的な友好性のマイナス面を指摘し、人間関係だけでなく、国際関係にまで論を展開しました。
視野を広くもつことにしっかりと留意していますね。
風邪ひかないようにね。
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しかし、子供たちの実力はそれぞれ個性的です。上手に書けている子の作文を見せて、自分の子供の作文と比較しないようにお願いします。
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