国語読解力は、あらゆる学力の基礎。問題集読書の復読と、読解検定の自主解説で確実に力がつく
作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)
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舞台と観客 ともっち
演ずるものと見るもの、つまり演じられている舞台とそれを鑑賞する観客とを空間的に分離すること、こういう制度になれてしまうと、大相撲や歌舞伎の楽しみ方に、はじめはとまどう。ここで「隔たり」ということがポイントとなる。ここには主体と対象の隔たりと、主体と唯の主体との隔たりがある。1960年代に音楽や演劇の世界で起こった反逆、例えば演奏中に客が絶叫するようなライブ演奏などは、まさに近代の「芸術鑑賞」という制度に攻撃の照準を合わせていたのであった。(要約)私も芸術鑑賞をする時は、観客も一緒になって参加できるような舞台になればいいと思う。
そのための第一の方法は演ずる側の者が工夫をして、観客も参加しやすいような舞台を作るということだ。私は前に「キダム」というサーカスを見に行ったことがある。その中でピエロを観客の一人を舞台に誘い、ちょっとしたハプニングやパフォーマンスを披露していた。キダムはとてもすごいパフォーマンスをやっていて、もちろんそれらは心に残っているが、それほど大したパフォーマンスはやっていないのに、その一人の観客とピエロのこともはっきりと覚えている。このように観客をまじえるなど少し工夫することで、その舞台の印象も変わってくる。クラシックの演奏会の場合では、観客の一人に弾いてもらうというのは無理であるが、みんなが知っている曲を演奏することで、観客は今まで以上にその演奏会に対して興味が惹かれると思う。
第二の方法としては観客もその芸術に合うように参加するということである。例えばヴィジアル系のバンドのライブに行く人はみんなヴィジアル系の服を着ている。こういうライブにきちっとした背広を着ていく人はいないだろう。もし背広を着た人が前の方でライブを見ていたら、そのライブを作る演奏者からしてみれば、すごくやりにくいだろう。しかし、「アメリカ人は意識的な人々だ。笑うべきだと思おうから笑うのだ。」(長文実例)という文のように、無理をして合わせる必要のない。その芸術に参加するにあたって、うまく参加できるやり方を自分自身で考えることが大切だと思う。
確かに芸術の価値は一般の生活からはなれたところにあるので、参加しにくい場合もある。また芸術は「家の批評ができるのは、建築家ではなくそこに住む人なのである。」(名言)という言葉のように、人によってとらえ方が違うので、これがよいとは一概には言えない。しかし私は、見る人も一緒になって参加できるような芸術を鑑賞していきたいと思う。
講評 huzi
芸術とは、観客と客席の間に距離をもうけ、観客同士の間を遮断することによって成立する一面があるのですね。なるほど、芸術鑑賞は非日常を味わうにはいい反面、堅苦しく思えてしまう理由はここにあるんだね。
遠慮なく鑑賞できる芸術があったらいいね。ともっちさんがいう、観客も一緒になって参加できるような舞台や、散歩の途中で気軽に見にいける展覧会。私は以前、野外でピクニックしながらのコンサートに参加したことがありますが、すごく楽しかったです。食事しても話をしてもいいし、いちいち周囲にあわせて拍手をしなくてもよかったから。
【方法】にあるように、演ずる側の工夫は必要ですね。キダムでは、観客がパフォーマンスに加わる場面があったの? たぶんそのとき、客席のともっちさんも自分が演じているように感じたでしょうね。
ヴィジュアル系バンドの例は、電話での話から出てきた話をうまくまとめたね。演奏者ばかりでなく、客席の人々も演奏を盛り上げるための工夫の余地がある。お互いの気持ちが通じ合ったと感じてこそ、演奏者は最高のパフォーマンスを見せようと頑張るのでしょう(意識的に笑おうとするアメリカ人のように)。
【名言】の使い方にひと工夫あり! 【反対意見】の中に取り入れたね。芸術に対する感じ方は人それぞれですが、まわりの雰囲気にも影響を受けることは確かです。
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