国語読解力は、あらゆる学力の基礎。問題集読書の復読と、読解検定の自主解説で確実に力がつく
国語読解力は、あらゆる学力の基礎。問題集読書の復読と、読解検定の自主解説で確実に力がつく。

昨日2569 今日379 合計2992
作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

小学1・2年生   小学3・4年生   小学5・6年生   中学1・2・3年生   高校1・2・3年生

   数値の分析   ミュウ

 私は、今までの14年間、様々な話し合いを行ってきた。最も印象的なのは、昨年、私が生徒会副会長だった頃の出来事である。私が通っている中学校では、「中央委員会」という話し合いの機関がある。そこでは月一回、活発に意見交換がされるのだ。大抵、出された意見には承認の挙手、又は拍手で全員一致となる。しかし、中には意味が分からないままに、周囲の生徒に流されて承認してしまった、という生徒がいて困り者だ。勿論、中央委員会のみならず、本部室で本部役員だけで話し合う場合もある。何故かその際には、全員一致として終了せずに、様々な意見が表示され、纏まらないのだ。最終的には、話題が徐々にずれていき、下校という状態になってしまうのだが(笑)。全員一致とは、必要なことなのだろうか。
 確かに、全員の意見が一致するということは、良いことだ。なぜなら、総論として先に進むことを前提としているからである。いつまでも論争が停滞していても、前進出来ないのだ。たとえ、少々反対気味だ、と思っていても、賛成側だということには変わりがない。反対意見を述べたところで、時間の無駄になるだけである。反対な箇所には、話が展開した際に述べればよい。そうすれば、意見の改善すべき箇所が発見でき、より良い見解に発展していくであろう。つまり、各論に視点を集中させずに、全体として考えるため、先進していくのである。
 しかし、逆に悪い、という人もいる。それは、自分なりの意見を発表しない人間が多数存在しているからである。後々、反論の理由を質問されては困る。だから、周囲の人間に合わせて賛成する、という場合があるのだ。自分自身の考えを持っていないのにも関わらず、適当に話し合いに参加しているなんて、なんと屈辱的な行動だろうか。だから、もし全員一致となってしまった場合は、一人一人個人の意見を聞きだすのが先手だろう。でなければ、話し合いの場がそうではなく、単なる四囲に都合を合わせる場と進展してしまう可能性がある。人の意見を自分のものにする、という言葉をとても耳にするが、それは自分なりに言葉を変えてから吸収する、ということである。決して、他人とそっくりそのままではいけないのだ。
 確かに、全員一致とは、良い時と悪い時とがある。しかし、最も大切なことは「経験は最良の教師である」という名言があるように、数値を生かしていくことである。これは、多数決の場合でもいえる。何故この数値になったのか、ということを分析することもそうだ。私の中学校では、二年に一度、文化祭が実施される。昨年10月に実施されたのだが、クラス発表の内容を決定するために、数個意見を出し、多数決をした。圧倒的に一つに挙手が集中したのだが、その理由は簡単である。まともな意見があまり出なかったのだ。だから、同級生のみんなと、もっと話し合わなければいけないな、と痛感した(笑)。こんな小さなことでもいい。分析・理解することで、新たな目標が誕生するのである。<<総合化>>

   講評   nara


毎月の学年別「森リン大賞」作品集森リンの丘 
 自動採点ソフト「森リン」で上位になった作文を掲載しています。
 しかし、子供たちの実力はそれぞれ個性的です。上手に書けている子の作文を見せて、自分の子供の作文と比較しないようにお願いします。

作文教室受講案内   無料体験学習   作文講師資格 
Online作文教室 言葉の森  「特定商取引に関する法律」に基づく表示」  「プライバシーポリシー」 
お電話によるお問合せは、0120-22-3987(平日9:00-19:30)