創造と発表の新しい学力
作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)
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口承文学から学ぶこと じょー
お話とは声によって伝えられる文学、口承文学である。がしかし、すべてのお話が口承文学というわけではない。たとえば、交差点の正しい渡り方、幼稚園での集団生活のルール。また、母親や教師が話してくれる思い出話などはとても個人的で、内容や表現が吟味されるので少し口承文学とは言いがたいかもしれない。なので、文学的な価値を持つお話としてもっともらしいものは昔話だ。昔話は「私たちの心を楽しませ、人間についての理解を助けてくれるもの」としての文学的な価値に当てはまるのだ。「心を楽しませる」この中には、表現での形式からくる美しさも含まれている。昔話は一般大衆の文学であり、普遍的で根本的であるので簡潔な心を持っている人でも理解できる。よって幼い子供も理解できるのだ。なので、もっぱら子供のためにある文学となっているのだろう。昔話は簡単そうに見えて実は奥が深いのだ。もしも幼い時に昔話にふれることなく育ったら、今後文学を味わうための何か大切な要素が欠けてしまうのではないか、とだけは言い切れる。語り手も、良い語り手になるには昔話にふれる必要がある。自分が話しを作るときの材料だけではなく、「物語」や「話す」ことの大切な意味がわかってくるのではないだろうか。昔話は、お話に興味を持つものにとって自分をうるおす泉なのだ。(要約)
私は、昔よく「日本昔話」を読んだ。母親に読んでもらったり、幼稚園の紙芝居でもよくふれていた気がする。誰もかまってくれない時は一人で絵本を読んでいた(眺めていた)。絵本なので文をちゃんと読まなくても大体は話の内容がわかった。小さいころは感受性が強かったのか、本を読んだあとはその話に浸りっぱなしであった。中でもお気に入りだったのが「舌きりすずめ」であった。意地悪なお婆さんと優しいお爺さん、小さい箱を選んだお爺さん……中にはお宝が!一方、大きな箱を選んだ欲張りなお婆さんはオバケが出てきたのでびっくりして死んでしまった。これは幼かった私には衝撃的でした。何がそんなに驚いたのかというと、お婆さんが腰を抜かして死んでしまうシーンの絵でした。箱の中からたくさんのオバケが!はっきりとは覚えていないが寝るときにまるで本当にオバケにあったように大泣きしたのはその日のことだったと思う。幼稚園で何度も自己中な行動をとっていたので、きっとみんなから仕返しがくるのかもしれないと思ったのだろう。このようにして、たくさんの昔話を読んできた。(前の話)
私は今でもたまに昔話の本を読む。「ごんぎつね」は今まで最高に感動して泣きじゃくったもので、読み出すとすぐに泣けてくる。猟師の勘違いが実に憎く、いつも読むたびに「なんで気づかないだ!!」と思う。友達に気を使うのはここからきたのかわからないが自分でも知らず知らずこういう本に影響されている気がする。
人間にとって口承文学とは気づかないうちに人を成長させるものではなのいか。「話す」という具体的に感情や考えを表現ができる手段、これは人間だけができることであり、また今日の人々が存在するというのもこの手段のお蔭なのであろうと私は思う。
講評 miri
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