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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

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   謙譲の美徳とは正しいのか?   ルル

日本人は自分がどんなに英語を上手くしゃべれたとしても、いざ「あなた英語しゃべれますか?」と聞かれると「少しだけ…」と、答えてしまうのである。なぜ、「話せます」と、自身を持って答えられないかというと、そこには恥ずかしいという思いもあるかもしれない。しかし、「話せます」と応えた場合に自分がとらなくてはいけない責任、または理解できなかったらどうしようという不安が少し控えめに答えてしまう理由なのではないか。つまり、日本人はどんなに出来ても控えめに応える事が無難だと、思っていて、そこには日本流の「謙譲の美徳」があるのではないか。しかし世界を見渡してみると、大して出来ないのに自信を持って「はい、出来ます。」と言う人間が世の中にはたくさんいるのである。その人たちのように国際貿易都市で生きていくためにはそんな生ぬるい事など言ってはいられないのが現状なのである。そんな日本人に多く見られる傾向が相手を自分の枠におさめようとする事なのである。しかし、相手からみればそれはいい迷惑なのである。ではそんな迷惑を感じないためには他人の型からはみ出て「打たれる杭」にならぬよう、美徳を利用するべきなのだ。
私は日本流「謙譲の美徳」は少し間違っていると思う。
 第一の理由は「信頼性」である。例えば英語検定1級を持っている人と、英語検定準1級を持っている人がいたとする。その2人のどちらかを会社のプロジェクトに採用するとする。このとき、部長が「君、英語できるかね。」と聞いたときに、前者は自信なさげに「少しなら・・・」と答え、後者は自信満々に「はい。もちろん出来ます。」といったとする。このとき、どちらを採用するだろう。普通なら後者を採用する。確かに実力は前者の方が上かもしれない。しかし、自信が無いという態度は信頼されない理由へとつながってしまうのではないか。
 第2の理由は努力する事である。これはつまり、何かを頼まれて「はいできます!」と言ってしまった場合人の心の中にはそれがどんなに大変なことでも「必ずやり遂げなくては、成功させなくては。」という気持ちが生まれるのである。そうする事によって、人は努力し、物事を成し遂げる事が出来るのである。実際に私も、友達の前で「テストで90点以上取る!」と宣言したときには必死で勉強した。もちろん、人目を気にしてという事もあるかもしれない。しかし、宣言してしまった以上、もうあとには引けないという奇妙なプレッシャーが、私を突き動かしたのかもしれない。どちらにせよ、これはとてもいい影響である。
 しかし、日本流の「謙譲の美徳」にはたしかにいい所もあるのだ。それはにげることができる事である。もし、頼まれた事に対してハッキリと「出来ます!」などと答えてしまったら、もうあとには引けないわけだから、その事を成功させるために様々な努力をしなくてはいけない。けれど、「多分・・・」とか「少しだけ・・・」などと答えておけば多少出来なくたってそこまで気にしなくても平気だからだ。あそらくその方が気も軽いだろう。しかし、それはずるいとは思わないだろうか。「謙譲の美徳」とはある意味「逃げ」に過ぎないのだろうか。やらなくてはいけない事、できる事は逃げずにしっかりと責任を持って成し遂げる事こそが、大切な事なのではないか。

   講評   nara


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