創造と発表の新しい学力
総合選抜入試にも対応。探究学習を超えた、新しい創造発表学習。
AI時代には、知識の学力よりも、思考力、創造力、発表力の学力が重要になる。

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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

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   専門の欠点   ルフィ

 現代の世の中では、物事の解明が進みすぎているがために、教養のない専門家、というものが生まれてきている。教育においても、専門家によって「非行少年」や「落ちこぼれ」というレッテルを子供たちがはられたとしても、それは何の救済にもならない。むしろ、生身の人間といったものが救い得る可能性を秘めているのだ。それなのに、社会はそれを勘違いしている。そこで私は、人間のふれあいよりも専門家を過大評価する傾向がある社会に問題があると主張する。
 そのような社会が形成された原因の一つに、専門、という分野が細分化されすぎたのがある。例えば、聞いた話によると、現在進学校と呼ばれる「優秀」な生徒が集う高校のほとんどでは、高2のうちにもう文理選択をさせ、そのどちらかに関連のある教育しか行なっていないというそうだ。これは、昔の大学受験というものがどちらかの勉強さえしておけば受かるという特徴を備えていたことによるのだろう。しかしこれでは、「優秀」な大学に入り「優秀」な専門家としてマスコミ等で取り上げられる専門家に、一般教養を身に付けている人が少なくなるのも無理はない。加えて今の中学では文科省の方針により、常識すら教えない方策が採られているので、このままではどんどん専門馬鹿が増えていくだろう。ただ、近年センターの科目数を増やすなど大学受験にも改善の努力が見られてきたので、もしかするとこの傾向は治っていくかもしれない。
 だが、もっと潜在的な原因が、この問題にはある。それは、私たち「日本人」という民族がすでに、権威や肩書きを重んじる思想を潜伏させているのである。これは枚挙にいとまがないほど例が多い。会社で上司の言うことは何があっても正しいと信じている人は多いし、官僚は年寄りばかりだし、何よりも日本の選挙制度がすでに30歳未満お断りである。政界についてもう少し詳しく書くならば、今でもテレビに出てくるのは老人ばかりである上に、まだ彼らが政党や派閥を牛耳っているとのことだ。とんでもないことだと思うし、それについていく議員も議員だと思う。
 もう一つ、身近な例を思い出したので書かして欲しい(笑)私は部活動でバスケットをやっているのだが、先日練習試合に行ったとき、私たちを指導している顧問の先生の友達である、日本代表の指導をされていた先生と何故か意気投合した。ややこしいが、簡潔に言うと練習試合を見ながらすごい人と話していたのである。そして、そのときその先生は、あるチームのかなり高齢なコーチ(これもまた有名な人)を指差して、「あいつはな、俺がいいかげん引退しろって言っているのに聞かないでいるんだ。まぁ生徒の方もあいつの言うことよりも監督の言うことを(そのチームにはちゃんとした若い監督がいた)聞いているみたいだがな。」とおっしゃっていた。権威よりも熱意の方が伝わることのよい例だと思い、ここに掲げておいた。
 確かに専門的な領域を深めて「その道」の知識を得ていくことも大切ではある。だが、「気持ちは、言葉で伝えるものではなく体で伝えるもの」なのだ。今の私は、専門化には確かに知識量で劣っているだろう。だが、普遍的な教養、俯瞰的な視点、何よりも熱意で勝っていることには、自信がある。

   講評   kira

 ルフィくん、こんにちは。いいなあ。勢いのある「若者の文章が此処に在る」という感じです。最近、若くない青少年が多いと思いませんか? だから、世間でいちばん元気なのは「おばさん」であるなんて言われるのです。(というわけで、私も勢いがあるのです。笑)
 日本の権威主義はいかなる状況下においても磨きをかけてきたね。封建時代は言わずもがな、開国、近代化においても新たなる権威を西欧科学において、せっせと権威付けてきた。真面目なんだろうね、きっと。そこで、専門家と呼ばれる人たちが育ち、物申すようになりました。
 教育現場においては、専門家現象が悪い方向で起こっているね。幅広い学習の中から求心的に深まるというかたちで専門が決まればいいのだけれど、関係ないことは切り捨てるような簡略化が、専門選択ということになっていますね。「文系・理系」は、数学と国語の点数の比較で決まるものではないよね。両方出来る人はどうすればいいんだ!(でしょう?)
 しかも、学問の専門化は危険です。人間の幸福のためにという目標を見失って、専門ばかと呼ばれるような研究をしかねないからです。
 政治も権威でやっているからなのか、紛糾するばかりです。組織も肥大するばかりで、見通しがききませんね。
 バスケットではすごい先生に出会ったのですね。日本のスポーツが振るわないのは、精神論で練習するからだという反省が起こり、練習方法が変化したと前回のオリンピック時に耳にしました。新しい風もいるんだね。
 若者は可能性がある。可塑的な存在です。エネルギーもある。そんなすばらしい素材を、型にはめて塗り込めるような教育の方法はなんとか改善してほしいですね。
「書かして欲しい」→「書かせて」
  

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