国語読解力は、あらゆる学力の基礎。問題集読書の復読と、読解検定の自主解説で確実に力がつく
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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

小学1・2年生   小学3・4年生   小学5・6年生   中学1・2・3年生   高校1・2・3年生

   全体の中の一部分   ともっち

 伝統的なクラシック音楽は「始まりと終わりがあって、そのあいだの過程は不可逆的であり、部分と部分が相互に有機的に関係しあうとともに、曲全体は細部まで意味づけられた閉じた統一体である」ととらえられている。しかしコマーシャルの十五秒のクラシック音楽は、たしかに作品の一部には違いないが、むしろ作品という根から切り離された存在である。私は物事を部分部分で考えるのではなく、全体としてみるべきだと思う。
 そのための第一の方法は、それぞれの部分についてしっかりと分かっておくということだ。部分部分が分かっていないのに全体を見ても何も分かるはずがない。私はダンスをやっているが、一曲の曲を踊るためには、まず部分部分を取り出して練習し、最終的につなげて一曲を仕上げる。部分部分を練習する時に曲の雰囲気を分かりながら踊っていると、全体をつなげた時に曲に合った踊りができるようになる。このように部分部分をしっかりと理解することで、全体をみたときにまとまるのだ。
 第二の方法としては物事に時間をかけるということだ。この前サッカーの日本代表の試合があったが、私はあまりサッカーに興味がないので、後でスポーツニュ−スでいい場面だけを見て、それで満足だった。しかし兄はサッカーが好きなので、一試合全部を見てサッカーの楽しさを味わっていた。このように物事の全体を味わうためには時間をかけるということが大切である。
 確かに一つの部分を取り出して詳しく調べるということも大切である。しかし「部分が全体を作るのではなく、全体が部分を作るのだ」という言葉のように、私は細かい部分からではなく、全体から物事をみるべきだと思う。

   講評   huzi

 テレビCMには、ときどきクラシック音楽が使われていますね。目立つ部分だけ取り出して印象深い演出がなされています。うまいなあ! と、感心することもあるのですが、それはあくまでCMの演出として考えた場合のことで、音楽そのものを鑑賞するのとはまた別のようです。
  【当為の主題】の設定は、大きな視点で書いたね。物事の部分をどうみるか。抽象的なテーマを論じる場合、具体的な例による説明は不可欠ですね。
  【方法】の最初に書いた意見は、ユニーク。全体を知るためには、部分こそ大切だと考えたのですね。確かに、ダンスでは、指先一つの動きに全体のメッセージが含まれることもあるでしょう。
 二番目の【方法】は【体験実例】がいいね。部分だけを見て全体の流れをわかったように思い込むのは、本当の楽しみ方とは言えないですね。でも、全体を知るには膨大な時間が必要で、それほど関心がないことに時間を割くのは難しい。スポーツにしても芸術にしても、ニュースであっても、同じだね。
 【自作名言】は、秀逸。全体があってこそ、部分の存在価値があるのですね。部分をおろそかにせず、しかも大きな視野を持つことが必要ですね。

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 しかし、子供たちの実力はそれぞれ個性的です。上手に書けている子の作文を見せて、自分の子供の作文と比較しないようにお願いします。

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