国語読解力は、あらゆる学力の基礎。問題集読書の復読と、読解検定の自主解説で確実に力がつく
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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

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   話し方は「間」にある   じょー

 話上手な人のことをおしゃべりとはいえない。饒舌の人と違って、「間」を上手に使いこなしている。例えば、沈黙の時間が長く続くとき彼らが「サービス」の気持ちとしておしゃべりをしてくれたとしよう。しかし、中には話しているうちに、いつのまにか、自己弁護や自己顕示となり、ついには自己陶酔になってしまう人がいる。また、いかなる名言もただただ積み上げただけでは効果を持たない。しかし、風が吹いている饒舌は、聞き逃すことも少なくなり、相手も思考時間が与えていくのもが良いかんじだ。これがまた、風は吹かないと何を聞いたかわからなくなるのがオチだ。余韻、余情やふくみ、これらはすべて「間」のいかし方にある。荻須高徳のパリの油彩で薄暗い町の中にただ一点、遠景の塔らしきものが朱が入っていって、そこの向かって画面が収斂されていくのだ。「間」を思うときは、いつもこの朱色を見ている。
 私たちにとって「間」を取り入れることは必要である。理由の一つは、「間」があることによってモノのバランスが良くなると思うからだ。例えばの話だが、ある並木があるとしよう。しかし、もしそれらに少しも「間」が無いと実に見苦しい並木になってしまう、いや、並木というよりはもはや、それは窮屈とした壁になってしまうだろう。しかし、本当の並木には「間」が存在する。そのおかげで並木のバランスが良くなり、またそうした街には素敵なお店があったりと一層街中に味が出てくるのだ。
 二つ目の理由としては、バランスが良くなったことから私たちにとって理解が容易になるからだ。容易と言ってしまうと軽い感じだが、今回で私は「間」というものがどんなに必要なのか何度も実感したのだ。それは、私の父が原因である。今も昔も私は変わらず、父の説教を度々くらうのだが、その説教がとてつもなくつまらないのだ。父はもともと中国史が好きで、中でも項羽と劉邦の辺りがお気に入りだと言う。説教をしているうちになぜか中国史の話になっていくのだ。私も中国史は好きだが、父があまりにも「間」を入れずに語るので逆に気分が悪くなる。説教は大体、食事の時間に起こるので食欲は出てくるはずがない。「昔、ある軍師が……なんたらかんたら」と永遠に語るのはどうにかして欲しいと何度思ったことか、こういう人を饒舌というのだと痛感した。父にはもっと「間」を大切にして頂きたい。
 確かに、饒舌な人は場の雰囲気を持ち上げてくれる第一人者だと思おう。しかし、「大切なのは、健康らしい外見ではなく、健康自身である。」という名言があるように、たとえどんなに難しい中国史をつらつらと語れようが、それを他人が理解できなければ全く意味が無い話と化してしまうのだ。やはりここは、語り手の話し方が問われてくる。いかに上手く語れるか、それは「間」という一息が鍵を握っているのではないだろうかと思う。

   講評   miri


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