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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

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   他人の傷み、自分の傷み   あるま

 自分の感じる痛みというのは自分にしか分からない。自分に想像可能なのは、他人の立場にある自分の傷みであってその人の傷みではない。人であろうと何であろうとそれら自体は心あるものでも心なきものでもなく、自分が他人や他のものといかに交わりいかに暮らすかによってそれらは心あるものにも心なきものにもなるのである。現代の社会では、他人の痛みの分からない人が増えている。
 その原因のひとつは、自分と他人の仕切りをつける人が増えていることである。他人というのはあくまでも他人であって、自分とは関係のない面もある、と考える人が出てきている。例えば、交通事故が起きて野次馬ができる。この野次馬はそういった人達の集まりなのである。自分とその事故にあった人との間に意識の中でしっかりとした仕切りを作っているから、事故の状況を見たところで自分にダメージはない。同情や教訓、慈悲が湧いてはくるがその他は切り離して考えられる。もしその事故に自分自身や身内や一概に「他人」言えないような人達が関わっていれば、とてもそんな風に軽々と見物などできないはずである。
 もうひとつの原因は、他人の傷みに刺激を求める人が出てきていることである。ニュースの報道などでやたらと大げさにストーリーを組み立てている、というような印象を受けたことはないだろうか。どんなに小さな事で始まった事実も視聴者の興味を引くように脚色めいた内容に仕立て上げる。確かに私もその報道の仕方に見事にひっかかっている。しかし、それは他人の傷みを興味本位で取り上げているように感じさせることがある。現実を視聴者に伝えることこそが報道陣の役目であり、事実というのはそれ以上でもそれ以下でもない。他人の傷みが刺激になるものではあってはならず、そのような形で提供するものでもないのだ。
 確かに、カウンセラーなど他人の傷みを分かろうと努力する人もいる。しかし、「他人の傷みというのは実感できるものではなく共感できるものだ」というように他人は所詮自分とは違う離れた存在になってしまう。今後、私は興味本位に他人を見るのではなく、また同情だけで他人を感じるのではなく、自分をしっかり受け止めるように他人の全体をそのまま受け止められるようにしていきたい。 

   講評   huzi

 学校行事、楽しそうね。高校生活が一番楽しい時期でしょ? 思いきり味わって、そこで得たことを意見文の中にも反映させてみてください。
  【原因】は、二つ。後者は前者を発展させた考え方のよう。「仕切り」という思考回路は確かにありますね。価値観が多様化すると、相手と自分の間を「仕切らないと」、自分自身の立ち位置が複雑化してしまう一方で、仕切りすぎると「関係ない」と、人との関わりそのものから遠ざかってしまうことにもなりかねません。
 第二の【原因】は、最近の報道を見ると痛感します。どんな事件や事故も、一時の興味関心をひきつける材料として扱われてしまう。これは、報道する側の問題にとどまらず、受け手としての私たちの問題でもあります。
 【自作名言】で、実感と共感を持ってきたのはうまい。確かに実感は当事者でないと得られないものですが、共感ならできる。その共感をどのようにしてお互いを結びつける力としていくか。人間としての練達が求められるところです。
 【要約】の部分の「それら」は指示している内容を明らかにしたほうがいいでしょう。

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 しかし、子供たちの実力はそれぞれ個性的です。上手に書けている子の作文を見せて、自分の子供の作文と比較しないようにお願いします。

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