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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

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   私たちはどこへ行くのか   しっぽ

 能役者の身体は、人間の自然の体を拒否している舞台に立った能役者の体は、動きの型によって、役や美を表現することができる。これが日本人の考える身体に対する思想である。これは西欧近代の精神と肉体の二元論とは全く異なる。つまり、精神と肉体が全く別の次元に存在するのではなく、その身体自体がすでに精神的なものであると考えるのだ。私は、現代社会の中であまりに自由になりすぎた人間の肉体と精神が、行き場を無くしてしまったことに問題があると思う。
 その原因としては第一に、自分のことは自分でするという自己責任の観念が一般的になってきたからだ。私は、小学校四年生の時から塾に通っていた。塾の勉強も学校の勉強も全て自室でしていた。しかし、やはり小学生である。もちろん出来の良い子は自分一人で勉強できるが、私はその中に含まれなかったので(笑)、そもそも勉強の仕方というものがわからなかった。親も割と放任主義であった為、六年の夏に全国模試を受けるまで、自分の娘がどれだけいい加減に勉強をしていたか気付かなかったようだ。私も無駄にしてしまった二年間のこととこれから先のことを思うと、やりきれない気持ちでいっぱいになっていたのを、今でもはっきりと覚えている。結局、最後は母の助けを借りてなんとか志望校に合格することができた。世の中は本当に自己責任だけでなんとかなる程甘いものなのだろうか。他人あっての自分というものをもっと深く認識するべきだ。
 また、この問題の第ニの原因として、自己のアイデンティティの喪失が挙げられる。多種多様な人間が存在する中で、どうも一部の人は「他人とキャラが被らないようにしよう」、「自分独自のものを見つけよう」などと意気込む人がいる。そればかり意識して、気付いた時には自分の思う様に身動きがとれなくなってしまうこともしばしばだ。どこかの誰かが「ナンバーワンにならなくてもいい 元々特別なオンリーワン」と少し前に歌っていたが、まさにそうである。周りの目ばかり気にせずに、興味のあること、自分がしたいことに素直に向き合ってみることだ。自分が一番好きな自分でいればいいと思う。
 確かに、周りから独立した自分というものは、自己管理のできる頼もしい人間だということを示す。しかし、それはまた、他者から切り離された存在であるということも意味している。他者と関わること、社会の中で共生することの中で得るものは、自分一人で生きている時には決して得られないものもある。社会の規律に身を委ね、他人を気遣うことはただ縛られているのではなく、その限られた範囲でどうやって自分らしく生きるかを考える場なのである。多くのことに目を向け、多くの言葉に耳を傾けることが、きっと私たちの行き場を示す道しるべなのだ。

   講評   nane

 要約がうまい。(笑)こういう文章を的確にまとめる力はさすが。
 第一の原因の自己責任とその体験実例はいい話。しかし、問題提起と結び付けるためにもう少し説明があった方がいいかも。人間には、外からの枠組みや強制が必要だということだよね。
 第二の原因は、更に説明が必要かも。(笑)歌詞の引用は、ことわざの引用と同じで面白い表現になることがある。「どこかの誰かが」でなく、固有名詞を書いておくといいよ。だれだっけ。
 結びの意見は、書き出しの意見との結びつきが今一つかなあ。肉体や外見をコントールすることで、精神もコントロールできる。そこに人間的な自由があるということだよ。難しいけど。

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