創造と発表の新しい学力
総合選抜入試にも対応。探究学習を超えた、新しい創造発表学習。
AI時代には、知識の学力よりも、思考力、創造力、発表力の学力が重要になる。

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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

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   他人の痛み   はなこ

 私の知っている痛みはただ私自身が感じるものとしてのものである。それを他人に移植する、つまり他人がそれを感じると想像することは実は不可能なのではないか。実数の間の大小を複素数の間に移植したり、将棋の王手や成り駒を碁に移植することが不可能なように。私は他人が私の経験に似た経験をしていると想像しているつもりでも実は想像しているのはその他人になり変わった私自身なのではあるまいか。今日、日本には他人の気持ちを考えられない人が多すぎる。
 その第一の原因は、昔のように外で遊ぶような機会が急激に減り、人との直接的な付き合いが減ったからだと思う。昔は、外などで遊ぶしかなかったためか、直接的な人との付き合いが多かった。しかし最近は、遊び=ゲームになってしまい、皆で集まっても、皆テレビの画面を見ているだけで話をする機会が急激に減ってしまった。僕も、友達と外で遊ぶときと、中でゲームをして遊ぶときでは、友達と話をする回数が全然違う。
 第二の原因は、育成ゲームなどにより、子供達の考え方が大きく変わってしまったからだと思う。これは、聞いた話であるが、小学生で人間は、一度死んでから、生き返ると思っている人がたくさんいるらしい。これは、恐ろしいことだと思う。このようなことにより、毎日ニュースでやっているような事件が、どんどん増えていってしまうのだと思う。
 確かに、感じなくて良いことまで感じてしまうようになり、新興宗教などに引っかかってしまうようになるのは、問題である。しかし、他の人の気持ちも考えずに迷惑をかけるのも大きな問題である。人間にとって、一番良いことは、必要以上に物事を進めることではなく、何事も適度な状態にしておくことである。

   講評   nara

 他人の痛みについて考えられるか? それは結局のところ、自分に心があるか、ということなのだろうね。私たちは多く相手に何かを求めがちだけれど、求めるべき先は自分の心なのではないか、ということかもしれないね。
 なぜ、人と関わる場面が減ってきたのか? ゲームの話でふと考えたのは、人が便利に快適に楽しく過ごすために作られた技術は、人と人との関わりの場を減らしている可能性があるのではないか、ということだ。例えば、電話がなかったときには、手紙か直接会うかという手段をとっていたはずだよね。ゲームなどの遊びは、その特徴がより色濃く出ているのかもしれないね。
 第2の原因については、もう少し説明を加えてごらん。子どもたちの考え方が変わったというだけでなく、正しい知識を得る前にゲームに熱中することで、バーチャルの世界と現実世界とを混同させている、ということではないかな。考えが変わるというと、「うそをつくのはいけないこと」と考えていたのが、「うそをつくのはいいこと」と考えるようになった……こういうニュアンスにも取れてしまうのではないかな。
 日本人は古くから、いろいろなものに神様が宿ると考えていたね。トイレにも神様がいると思っていたくらいだからなぁ。その考え方がゆがめて悪用することもできるわけだ。自分の身の内にあるはずの心とともに、冷静な思考も同時に必要になるということかな。まとめにある「適度な状態」を保つためにもね。
 久しぶりの作文だね。テストが終わって少し落ち着いたかな。できれば、6月1週目の進級テストの課題にも取り組めるといいな。

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 しかし、子供たちの実力はそれぞれ個性的です。上手に書けている子の作文を見せて、自分の子供の作文と比較しないようにお願いします。

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