創造と発表の新しい学力
作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)
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状況に応じた対応をする! 怪盗ピエナ
わたしは専門的な知識だけではなく、幅広い教養身につけた人間になりたい。
そのための方法としては第一に、得意な分野、好きな分野以外のことや一見無駄に思われるようなことにも目を向けることである。どんな打者も、バントより思いっきりフルスイングをするほうが好きである。しかし、この間とても速いピッチャーと対戦したが、ほとんどの人がバットの芯にあたらなかった。そこで、わたしの友達はバントをして、ピッチャーへの心理作戦に出た。そしたら、なんといつも落ち着いているピッチャーは暴投をしたのだ。わたしは、その友達を尊敬した。わたしは打つことしか考えていなかった。その友達はどうすればいいか自分で考えて、きちんと結果を残したのだ。バントは地味だが、流れが自分のチームにくるかもしれないということがよくわかった。これからは、状況に応じたバッティングをしていきたいと思う。
また、第二の方法としては、学校などでも知識をつめ込むだけの教育をするのではなく、幅広い教養が身につくような教育をすることである。去年、理科で天気について勉強をした。その時、授業をわかりやすくすすめるために、先生はある宿題を出した。それは、新聞の天気図を毎日必ず、先生の用意した紙にはるというものだった。そうすることよって、気圧の移り変わりや天気の移り変わり、風向などが勉強をする前になんとなくわかり、授業でもとてもわかりやすかった。また、修学旅行で国会議事堂や最高裁判所へいった。今、社会の公民で国会や法律、選挙などをならっている。実際にいたので、とても身近でわかりやすかった。たぶん、修学旅行で国会議事堂や最高裁判所へいかなかったら、そんなに興味もわかなかったし、適当におわっていたと思う。やはり、自分の体で体験することは、一番自分のためになるのだと思う。
確かに、一つの事に専念し、深く追求していくことも大切である。しかし、『辞書のような人間になることではなく、辞書をうまく使えるような人間になることが勉強の目的である。』という名言があるように、わたしは、専門的な知識だけでなく、幅広い教養を身につけたい。
講評 mako
体験実例がむずかしいかなあと思っていたけれど、よく見つけたね。がんばりました。
幅広い教養を身につけることは、すなわち毎日のあたりまえの生活を大切に味わうことではないでしょうか。
学校の勉強は、生きるために必要だと思われるごく基礎の勉強なので、教養というのとちょっと違う感じがします。勉強はどちらかといえば、生活の知恵を引き出すための道具になるものです。
道具は持っているだけでは何の役にもたちません。使ってこそ値打ちがあるものです。使ってはじめて教養といえるものになるのかもしれません。
とはいえ、日常生活に方程式も英語もいらないじゃないか……と私自身、よく思ったものでした。ならば方程式も英語も無駄だったのか……。
私が学校で勉強したことといえば、教科はもちろん、学校生活そのものだったように思います。先生のクセ、友達との関係、勉強の方法、おこづかいの使いみち、親に言えない秘密……、そういうものが方程式や英単語などの勉強とごちゃまぜになりながら一つにつながっていたような感じがします。どれも私の大切な生活の一部でした。
今、私は方程式を使って計算することも英語を使うこともありませんが、私が過ごした学校生活は、間違いなく今の私の生活に生きています。
「無駄」といえば、いわゆる学校の勉強以外のものは、すべて「無駄」だとする考え方もあります。確かに目標がテストの得点や合格に限るならそうかもしれませんね。でも、残念ながら人間はそういう近視眼的な目標だけを生きがいにすることはできないように思います。
幅広い教養は、無駄なところにひそんでいる……それが私の実感です。
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しかし、子供たちの実力はそれぞれ個性的です。上手に書けている子の作文を見せて、自分の子供の作文と比較しないようにお願いします。
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