国語読解力は、あらゆる学力の基礎。問題集読書の復読と、読解検定の自主解説で確実に力がつく
作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)
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ヘルプ ビーバー
僕の学年では英語の授業の時、単語テスト14問と短文のテスト4問をやる。そのテスト返却は昼休み、あるいは帰りのホームルームで行われる。答えの掲示も同じ時にされる。授業で同じクラスの人に時々「テストの答えを見せてくれ。」とよく言われる。たいてい僕は単語が満点か一文字間違えたとかが多く、文章の方も間抜けな間違いを先生の採点のときに指摘されている。だから、僕は前の伝言板に掲示されている答えを見る必要があまりなく、それを友達に利用されている。
確かに、手助けをすることは良いと思う。手助けをされる側が他人の力も使わないと解決できない問題を抱えていたりすると、解決ができない人は苦戦を強いられてしまう。そこで他人に助けられてピンチを乗り切ったところで、助けられた側も助けた側もとてもうれしく感じる。実際に僕は友達に英語の文型の問題を聞かれ、教えたことがある。そのとき、分からなかった問題がほとんど解けてきちんとその宿題を提出できたらしい。手助けをする方も、手助けをされる方も、とても良い気持ちになるので、手助けをするということはとても良いことだと思う。(体験)
しかし、手助けが悪いことに繋がることもある。教育については、子供は一人で物事を完成させるごとに成長する。しかし、誰かが手伝ってしまうと、そのときしようとしていた成長は阻まれてしまう。学校で出る宿題で言えば、宿題をやっていない人が(宿題をやっていない方が悪い(笑))宿題をやってある人に対して「宿題をやってないから見せてくれ」といって見せてもらい、自分の脳の成長を妨げるのと同じことである。このようなことも起こるので、手助けをするならいいのだ、というわけでもない。
相手に対して手助けをして、自分も相手もいい気持ちになることも、手助けをせずにいて、他人が素直に感情や知識を成長させるようにすることも、どちらも大切である。「大切なのは、健康らしい外見ではなく、健康自身である」という名言に表されるように、相手に対して手助けをするときに、その手助けが本当に感情のこもった良い手助けでなければならないと思った。これから、僕は、このことを日頃から意識したいと思った。(総合化)
講評 miri
毎月の学年別「森リン大賞」作品集森リンの丘
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しかし、子供たちの実力はそれぞれ個性的です。上手に書けている子の作文を見せて、自分の子供の作文と比較しないようにお願いします。
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