国語読解力は、あらゆる学力の基礎。問題集読書の復読と、読解検定の自主解説で確実に力がつく
国語読解力は、あらゆる学力の基礎。問題集読書の復読と、読解検定の自主解説で確実に力がつく。

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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

小学1・2年生   小学3・4年生   小学5・6年生   中学1・2・3年生   高校1・2・3年生

   人助けの良さと悪さ   

 私は、ついこないだ、学校の最寄り駅で「○○駅は、どうやっていくの?」と四十歳くらいの叔父さんに声をかけられた。「あ〜。○○駅は、僕の帰る方向と一緒なので一緒に行きましょうか?」と私はいった。この対応に対し叔父さんは、『これでなんとか、○○駅に行ける』という安心の表情が見られた。そして、その後きちんと○○駅に送ってあげた。このとき、社会で初めて、人助けをしたのだった。
 人助けをするというのは、人間としての当然の行為なのである。よって、人助けをするのは、良いことに属するのである。私は、最近、電車の中で友達に勉強でわからないところを教えてあげている。このことで、友達は満足していて、喜んでいるという。私もわからないところがあったら、友達に聞いているので、この喜びがわかるような気がする。また、教えているほうも本当に理解してないと教えられないので、自分が本当に理解しているかを試せるので自分にも役に立つのだ。つまり、人助けというのは、することによって、互いに助かることなのである。<<構成・題材>>
 私たちには、なにかやり終わったときの達成感というものがある。もしこれを成し遂げている最中に人助けといって助けたのが、相手にとって邪魔になってしまったらどうであろうか。このような面でいけば、人助けは、邪魔になってしまうのである。私は、ついこないだ、数学の問題を解いている最中に時間がきてしまって、「はい。もう教えてあげる」といわれて、自分で解きたいと強くこころで願った。なぜなら、解けない問題を自力で解いたときの達成感を知っていたからであるのだ。このように、達成感を人に横取りされると、とても悔しいのである。
 確かに手助け見方によっては、良くなったり、悪くなったりする。しかし、もっとも大切なのは、『大切なのは、健康らしい外見ではなく、健康自身である。』という名言があるように人助けをするかしないかではなく、その行動に相手に対しての思いやりがあるかであるのだ。<<主題・表現>>

   講評   kira

 BJくん、こんにちは。「手助け」論でした。一段落目の話題導入では、社会で初めての人助けの体験を書くことができました。一対一の大人の応対ができたね。誇らしい気持ちになったことでしょう。最近世の中物騒になったので、こういったことも敬遠されがちで、悲しいね。
 手助けは良いという意見では、助ける方も助けられる方もお互いに得るものがあるという根拠を挙げました。困っている時はお互い様という無意識の助け合いが世間にはあいますが、これも双方に心地よいからこその伝統なのでしょうね。
 しかし、困った手助けもあります。達成感を横取りされる場合ですね。これはその人のやる気や目的意識まで損じてしまう可能性がありますよね。
 最後には「思いやりの存在」で総合化しました。手助けするかしないか悩んでしまう議論は、さらに7.3週に続きます。

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 しかし、子供たちの実力はそれぞれ個性的です。上手に書けている子の作文を見せて、自分の子供の作文と比較しないようにお願いします。

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