国語読解力は、あらゆる学力の基礎。問題集読書の復読と、読解検定の自主解説で確実に力がつく
作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)
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教育における競争原理の必要性 はるる
夜九時過ぎ、ほとんどシャッターが閉じられた商店街を歩いていると、予備校のカバンを背負った小学生が何人かのグループになって帰宅しているのを見かける。現代では、小学生で受験競争を経験することがさほどめずらしくない。実際、私もそうだった。この小学受験、中学受験には賛否両論がある。受験競争という重圧が、子供の正常な成長を阻害するのではないか、と先生方は考えるわけだ。しかし、私はそのような考えでテストの点数主義、競争原理を教育から除外したら、社会に適合できない人間がますます増えていくという問題が発生するのではないかと思う。
その原因は、公立学校における安易なゆとり教育の実施だ。ゆとり教育とは詰め込み教育や相対評価の撤廃を主な目的としている。そのため私たちの教科書の内容は削られ、中学高校では教科書は最早使えないものになってしまった。子供に優しく、勉強で劣等感を感じることのないよう、大人は甘く理想的な教育方針を打ち出したのだ。ここで不思議なのが、なぜ勉強で競争することが悪とされるかである。甲子園で競い合う球児たちは良しとされるのに、なぜ勉強で競い合うことがタブーであるかのように扱われるのか。それは一部の人間が作り上げた偏見なのである。
このような問題の対策として、本当の社会の姿を知ることが上げられる。学生時代、私たちはあたかも今存在する社会は競争がない社会であると教えられる。しかし、それは全くの嘘であり、現実の社会には競争原理が当然存在するし学歴が人生を大きく左右するのは確かな事実である。社会人となったら、誰も自分を保護し慰めようとはしてくれないのだ。真の社会の姿とは、輝かしい理想郷ではない。それを大人は知りつつ、さんざん子供時代に幻想を見せいきなり現実に放る。これこそ残酷な仕打ちである。
確かに、過度な点数主義は悪である。しかしながら、それを全否定した所で何が残るのだろうか。現代は明らかな点数主義であるのに、それを隠し続けてどのような意味があるのか。机に向かい、一点でも多く点数をとろうとする者と、グラウンドで汗を流し一点でも多く得点をとろうとする者、どちらが良いかと判断する権利など誰も持たないだろう。本当に恐ろしいのは、今まで競争を経験したことがない、もしくは知らない人間が始めて社会に対峙した時に受けるショックである。大切なのは、子供を競争から保護するのではなく、慣れさせることである。私が夜、予備校帰りの小学生の集団を見かけた時、彼らの顔は決して曇ってはいなかった。むしろ爽やかに輝いて見えたのは、私の気のせいだろうか。
講評 sugi
思わず私自身が予備校に通っていたときのことを思い出しましたよ。(笑)あの世界で重要なのは、一点でも多くとること、一人でも多く追い抜くことでしたが、その激しい競争によって、人間的成長が阻害されたかというと、一概にそうとは言えない気がします。むしろ、目的がはっきりしていて生き生きと勉強している学生が多かったかもしれません。書き出しの塾帰りの小学生の情景を、結びにも使ったところは実にうまいです。
はるるさん自身が、この問題については日頃から考えているのでしょう。原因も対策もたいへんよく書けています。ゆとり教育の失敗は、明らかになってきているのに、ではどうしたらよいかと言うと、暗中模索の状態ですね。教育現場では競争をさせないのに、いざ社会に出れば否応なく競争に巻き込まれる。「これこそ残酷な仕打ちである。」というのは説得力がありますね。
森リンでも高得点をマークしました。三つの語彙、バランスよく入れられたね!
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