国語読解力は、あらゆる学力の基礎。問題集読書の復読と、読解検定の自主解説で確実に力がつく
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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

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   ちょうどよい手   

ごめん、ちょっと手伝ってくれない?』
こんな風に聞かれたときあなたはどこまで相手を手伝ってあげるだろうか?手助け(手伝い)にはさまざまな方法がありさまざまな度合いがある。ところで、『手伝って』といわれていつのまにか相手と自分の間に暗黙の了解として、そのどこまで手伝ってあげてここからだと過剰になるという度合いの境界線が引かれてはいないだろうか?仲の良い友達やおやにならその境界線がはっきりとしているであろうが、ほとんど話したこともない人に手伝ってといわれてもその境界線がはっきりしないときがある。
そんな時私たち頼まれた側にはどこまで手伝ってあげる権利があるのだろうか?
小学校のころ私の学年には足が自由に動かない障害者の男の子がいた。彼は、車輪のついている手すりのようなものを両手でつかまり体を支えて行動していた。元気で学校も休まずみんなで一緒に体育までしていた。そんな彼に、クラスのみんなが協力しあって彼に『手助け』をしていた。彼も、なにかしてあげるとすごくうれしそうな顔をしてくれていた。だから、みんな積極的に『手助け』をしていた。そんなある日、担任の先生が、  『けがをしていたり足が不自由だったりする子のお手伝いをすることはとってもいいことだよね。でも、そのこたちにだってちゃんと手はあるんだからできることだってある。せっかくやろうってその子が一生懸命なのになんでもかんでもやってあげていたらその子がなんでもできなくなる甘えんぼさんになっちゃうからできることとできないことの区別をちゃんとわかってあげていこうね。』
とおっしゃった。私は、人が喜ぶことを自分がしてあげることが大好きな子だったからそのときは正直あまり先生の言った意味がわからなかった。せっかく手伝ってあげてるのに?もしそのこができなくてけがとかひどくなったりしたらどうするんだろう?と思っていた。だが、今考えてみると過剰になんでもかんでもしてあげるとさっきのように甘えんぼな人間がでてくる。時にはできるかな、できそうにないかもしれない。。というようなものであっても友達ならうまく加減を調整してHELPをしてあげるべきだと思う。『何事もやりすぎはよくない。』というように手伝いを」してあげるのはちゃんと加減を分かった上でしてあげていくべきだと思う。
手助けをしてあげるのはものすごくいいことである。だが、友達だったなら過剰な手を差し伸べるのではなく、加減のわかっているちょうど良い手をさしのべてあげるべきである。
それさえできればきっと相手に喜ばれるだろう☆彡

   講評   mako

 いそがしいときによくがんばったね。とてもいい体験実例でした。ちょうどいい手助けはむずかしいね。「こんなときはこうすればいい」という決まったマニュアルなんてありませんから……。どんなときも思いやりを忘れないでいたいです。

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