創造と発表の新しい学力
総合選抜入試にも対応。探究学習を超えた、新しい創造発表学習。
AI時代には、知識の学力よりも、思考力、創造力、発表力の学力が重要になる。

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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

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   私達のものの見方   グレープフルーツ

私達は生活の中で周りにある様々なものを見ている。見る、と一言で言うが、実際に見ている形はどこにあるのだろうか。一つの見方では、形はものの方にある、という。つまり、例え見えなくても形は存在し、触ったりしてみればそこにあるということが認識できるはずなのだ。もう一つの見方では、形は私達の頭の中にある。ものがもの自身の形を決めているわけではなく、私達の頭が、ものの形を頭の中で判断しているということになる。どちらが正しいという答えは当然ないのだが、問題は、目は相対的にだけしか私達の脳に情報を送ることができない。人間は絶対的にものを判断する能力がないのだ。
私達は毎日相対的にものを見たり、感じたりしている。例えば、ものの大きさや小ささは比べない限り判断できない。私達の大きい、というのはそのものの普通の大きさより大きいという意味である。私達の悲しい、というのは普段が普通だとしたらそのある出来事が普通より悲しい、という意味になると思う。だから、絶対的に、「今日の調子は36%だなぁ」などとは言わない。私達には言葉があるから、「今日はいつもより調子が悪いなぁ」などと言うのが普通だろう。他と比べることによって私達はものを判断しているのだ。
しかし、絶対的にもの事を判断するのも忘れてはいけない。それがなければ人から人へ情報を渡すとき、表現の仕方にとても困ると思う。例えば、人にものの長さを伝える時、「結構長い」だけでは通じない場合がある。「2メートルぐらい」、「10キロぐらい」など、ある程度数字と単位で表さないと、本当にどれぐらい長いのかわからなくなる。自分で長さを見ているときに、「あ、これは60センチぐらいだな」などといちいち数えなくてもいい時に数える必要はないのだが、人に長さを伝えたい時に、絶対的な数がないと伝わらない時がある。
確かに自分達の普段のものの見方なんて、気にする必要はあまりないが、考えてみると興味深いだろう。大事なことは、相対的や絶対的な見方を使い分け、正しいものの見方を考えるということだろう。「真によいことは、新聞に大きな騒ぎを起こすことなく、小さくはじまる」という名言もあるように、自分の中でものの見方を見分けることが大切だと思う。

   講評   takeko

すばらしい!Magnificent!です。無駄のないすっきりした意見AとBがバランスよく書けています。今までの、作文の練習の成果だなあと感心します。「要約」これはいつもながら、うまいです。頭の中がすっきりしていますねえ〜。意見A、「私達の大きい、というのは」「私達の悲しい、というのは」大小、という外見、悲喜という感情(内面)、対比して並べてあるのがうまい!、『絶対的に、「今日の調子は36%だなぁ」』『私達は言葉があるから』これもいい表現ですね!意見B、これも『「結構長い」だけでは通じない』というのはユーモア表現です。いいですね。最終段落。自分達のものの見方、つまり人間の脳としての「相対的な見方」普段は意識していないけれど、たしかに興味深い。というのも、存在する「物体」は、もし人間の目で見られなければ、「絶対的」にしか存在していないのです。人間が見てこそ、「相対」という概念が出てきた。そして、他者から見ると、自分というものは「相対的」に見られていますが、自分にとっての自分は、「絶対的」存在であるともいえますよね。もちろん、自分の目で自分の体を見た場合は、「相対化」されているわけですが。でも人間としての自分の中に、「絶対」もあるのだということも意識していいと思います。進級テストはもちろん合格。

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 しかし、子供たちの実力はそれぞれ個性的です。上手に書けている子の作文を見せて、自分の子供の作文と比較しないようにお願いします。

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