低学年から学力の基礎を作る
幼長、小1、小2、小3の基礎学力をひとつの講座で学ぶ。
読書の習慣、国語算数の勉強、暗唱の学習、創造発表の練習をオンラインで。


昨日3224 今日158 合計55718
作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

小学1・2年生   小学3・4年生   小学5・6年生   中学1・2・3年生   高校1・2・3年生

   一歩進歩   ノンキィ

 自分で判断し決断し行動する。簡単なように見えて、実はとても難しい。他人依存であり、集団依存であり、状況に支配されやすいといった傾向が現代の日本人にはある。それは大学生にも見られるが、彼らは自分で考え、判断し、決断する作業になれていないのだ。
 私にはいつも何かをするとき、それに遠からず関与している人に何らかの許可を取る癖がある。本当に自分しか関係していないもの、例えば今の私ならばテスト勉強などがそれに当てはまるが、そういうものでない限りなぜか人に許可を取ってしまう。しかし、果たしてこれは私個人の癖だと考えてしまってよいのだろうか。ここ数年常に話題になっている「指示待ち症候群」。どうやら私もこの悪性のウイルスに感染しているようだ。
 なぜ人は他人に依存しようとするのだろう。理由は簡単、何を取っても楽だからだ。自分に責任がないことや、人の言うことにしたがっていることは本当に楽だ。先日わたしはあるテレビ番組を見た。その合間に流れていたCMのひとつに、妙に印象深いものがあった。突然画面に「つくろう」の文字、そしてバックで働く人々。それはある会社がこんなものをどこどこに作り、こんな社会貢献をしたという内容の宣伝だ。それを思い出して私は思った。おそらく指示待ち症候群の原因は現代の日本人が自分で作ることをしないところにあるのだと。自分で物を作らずに、お金で他人の作ったものを買い、満たされる毎日にどっぷりつかってしまうと、気楽なこと極まりないその底なし沼から抜け出せなくなってしまうのではないか。そして、戦後当然のように資本主義国としての道を歩んできた日本に、もうその沼を埋め立てることは不可能である。無論、私自身大いにその恩恵を受けているわけであり、資本主義の考え方に反対するつもりも毛頭ない。ただ、世の中の技術が進歩すればするほど、その沼は深く深くなり、しかもはまっていることを気付かせないその沼は私たちに気楽さと便利さを惜しみなく与えてくれる。つまり私たち日本人が指示を聞かずには動けなくなっているのは、便利さと引き換えの代償だといえる。(複数の意見一)
 私たちが他人に依存するもうひとつの理由は、責任の問題だ。他人の意見を聞いて動くだけなら、それでもしミスがあって責任を問われたとしても自分に指示をした人に責任を転嫁することが出来る。責任が自分になかったら、どんなに気楽だろう。何をやっても自分が責められることもなく、だってだれだれさんが・・・・・・と割り切ることも出来る。なぜ私たちはこうも責任から逃避したがるのであろうか。それはきっと、私たちが過剰なまでに失敗を恐れるところにあるのだと思う。そんなことはない、失敗してもいいのだといってもらえれば私たちは一時の安心を得ることが出来る。けれど、現実はそう生易しくないことに誰もが気付いているのではないか。特に今の日本のような社会状態では、失敗したものはすぐ敗者とみなされる。敗者復活戦なんていう救いの手はほとんどの人に差し伸べられない。最近の失業率の上昇が、それを物語っているだろう。だから人々は失敗を恐れ、それを恐れることに伴って責任をも投げ出したくなる。そんな、至極単純なことなのだ。(複数の意見二)
 「自分が考えるとおりに生きなければならない。そうでないと、ついには自分が生きたとおりに考えるようになってしまう。」という名言がある。(名言の引用)人間とは本来、とっても怠け者な生物なのだと思う。そして、特に現代の日本のように何もかもがお金で買える国に育った私たちは、楽をしよう、もっと便利になりたいと思うあまりに、そればかりを目的に生きているのではないか。楽をすること、責任を人に転嫁することは気楽ではある。しかし、それらは決して自分のためにはならない。因果応報という熟語のとおり、それらの結果はすべて自分に返ってくる。そして、気付いたときに波紋底なしの沼から抜け出せないでいる自分に気付くことだろう。現代の日本の社会問題のひとつである「指示待ち症候群」は現代の社会そのものが作り出した問題である。私たちは思い出さなければならないのだ。責任を人に転嫁することの重さ、そして自らの症状を。物を作ることによって進歩してきた人間の文化が、その産物によって壊滅してしまったら元も子もない。しかし、私たちが作ることをしなければ人類の未来はないことも事実である。これからの日本がさらに世界全体に貢献できるようにするためには、私たちが一歩踏み出さなければならないことを改めて感じた。(総合化の主題)

   講評   nara

 指示待ち症候群という題材は、それこそ今までにも何度も取り上げられてきたものだから、正直「またか……。」という思いが生まれそうだね。同じようなテーマであっても、書く人間は日々変化している。語彙が増えているかもしれない。昨日、考え方の根底を覆すような経験をしているかもしれない。それと同時に書く過程で、変わらない自分を発見することもある。だから、同系統のテーマで書くことに、意味とおもしろさがあるのだろうね。今回の作文は、複数の意見が十分練り上げてあり、読みごたえがあるよ。
 第1理由:コマーシャルをどう読解するか? これはおもしろい材料になるね。今まで、体験実例や歴史実例などを題材として使ってきたけれど、コマーシャルもいい題材になるということが判明した。最近のコマーシャルはメッセージ型・イメージ重視のものが多いから、解釈が重要になるのだね。「このコマーシャルは、こうも読み取れないか。」と考えながら見るのは、結構おもしろそうだよ。テストについては、なるほどと思ったよ。許可なしに自分の判断だけで進めているテスト勉強、これを大きく「何かを生み出す行為」ととらえることができないかな。ノンキィさんにとって、自分の判断と責任とでやっていることだから、結果というものに対しての納得がある。このテスト結果が「生み出されたもの」ということかもね。
 第2理由:こちらは、オーソドックスな意見だ。もし、この段落だけだと、作文全体の独自性がやや薄くなる。第1理由があるからこそ、第2理由の持つ安定感も生きてくるのだね。「失敗を恐れることによって責任をも投げ出すという至極単純なこと」ここは鋭く読み手の心に突き刺さることだろう。
 指示待ち症候群が「現代の社会がそのものが作り出した問題」であるからには、その社会を見直し、変えていくことが必要になるね。ここまで問題が根深くなってしまったからには、問題解決も難しいし時間がかかるに違いない。しかし、まとめにあるように、今の一歩が不可欠なのだね。そのために、何が必要でどんな方法が取れるか……今後の作文の大きなテーマになるところだ。

毎月の学年別「森リン大賞」作品集森リンの丘 
 自動採点ソフト「森リン」で上位になった作文を掲載しています。
 しかし、子供たちの実力はそれぞれ個性的です。上手に書けている子の作文を見せて、自分の子供の作文と比較しないようにお願いします。

作文教室受講案内   無料体験学習   作文講師資格 
Online作文教室 言葉の森  「特定商取引に関する法律」に基づく表示」  「プライバシーポリシー」 
お電話によるお問合せは、0120-22-3987(平日9:00-19:30)