国語読解力は、あらゆる学力の基礎。問題集読書の復読と、読解検定の自主解説で確実に力がつく
国語読解力は、あらゆる学力の基礎。問題集読書の復読と、読解検定の自主解説で確実に力がつく。

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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

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   日本人の力   ノンキィ

 ヨーロッパは日本に比べ人々の市民意識が高い。現代の日本人がこの文化を取り入れがようとするならば、ヨーロッパ性市民意識を模型として日本人自身の内部からの力を使い日本人特有の人格の確立をなしていくべきである。
 ヨーロッパは市民意識の高い国が多く、日本はそうではない。私は初めてこの事実を知ったとき、正直さっぱり意味がわからなかった。そもそも「市民意識」とは何なのか。また、それがなぜヨーロッパでは高く、日本では低いのか。けれどこの疑問はすぐに解消された。どうやらこの市民意識なるものは、その土地の宗教に深く関係しているようだ。
 ヨーロッパ諸国で広く信仰されている宗教はキリスト教だ。このキリスト教、カトリックやプロテスタントをはじめとする様々な宗派に分かれてはいるが、どれも敬うべき存在のトップはキリストである。そして、キリスト教の根底にある考え方は、「万人は神の下において皆平等である」というものだという。もちろん現在もイギリスなどには階級社会の名残が根強く残っているようだが。つまり人々は、私とあなたはお互いに一人の人間で、上も下もないのだ、という考え方に基づいた生活意識を持っている。他人と無理につながるニーズは全くなく、常に神に対して恥ずかしくない行為をとればよい。そんな考えが古代から広く信じられているのだろう。そして一般にこのような考え方を「市民意識」と呼ぶのだろう。だが、この考え方は日本人には基本的になじまない。なぜなら、日本には仏教が伝わるずっと昔から「八百の神」が信仰されていたのだから。台所にも、川にも、火にも水にもそれぞれに神様がいる。従って信仰の対象がひとつでない。日本人が、横に際限なく広がった人付き合いをする理由はここにあるのだと思われる。
 さて、日本と欧米の人付き合いの仕方、果たしてどちらが良いかという話を考えてみることにしよう。いうまでもなく、欧米では個人個人が独立した人間関係が形成されている。例えばAさんと、その妹であるBさん、そしてAさんの友達のCさんがいたとしよう。日本では、BさんにとってのAさんは「姉の友達」という認識のもと考えられる。だが、欧米では違う。BさんにとってのAさんはあくまでもAさんであり、他の何者でもない。このような個人が一人の人間として、人とのつながりを除いて認識する考えは、戦後日本人の憧れるものとなった。いつも誰か他の人とのつながりの中でお互いを認識してきた日本人にとって、そんな考え方はきっと途方もなくかっこよく思えたのだろう。欧米の市民意識の高さは、同時に個人を尊重することにつながる、人と付き合う上ではとても重要なものだといえよう。(複数の意見一)
 一方、日本人の横に連なった人間関係はどうだろう。それを考えるとき、私はいつも「サザエさん」を思い出す。家同士の垣根をはさんでたわいないことを話すおふねさんといささか先生。これこそ、従来の日本の人付き合いの最もベーシックな構図だと思う。今から10年前、兵庫県で阪神淡路大震災が起きた。数え切れないほどの人がなくなり、多くの家が破損した。そのとき、日本のような近所づきあいが果たした役割は大きい。避難所での生活の中で、知っている人がいることは大きな心の支えになる。このように、日本特有の人間関係の形成の仕方はとても温かく、どちらかといえば社会全体で大きな家族を作っているような、そんな安定感を見出せる。(複数の意見二)
 最近は以前のような日本の人間関係の独特さというか温かさがなくなっているとよく聞く。日本は戦後欧米の高い市民意識に憧れ、それをどんどん取り入れていくうちにそれの短所までも引き受けることになった。人をただ一人の個人としてみることによる、感覚的な冷たさ。それが日本人にとっては異色なのだろうか。だが、この世界に存在するすべてのものは、どれも長所と短所が表裏一体となっているのではないか。したがって日本が欧米の文化を取り入れようとするとき、そこに何らかのしこりが出来ることは覚悟しなければならないのである。「私たちの幸福が、ほかの人びとの不幸に支えられているのであってはならない。」という名言がある。(名言の引用)何か新しいものを開拓しようとするとき、簡単にゆくものなど何一つない。それがどのようなものであれ、必ずその価値と同じくらいの障害を持っているものである。日本人にとって欧米諸国は永遠に憧れの的であろう。だから、私たちがこれからそれらの国々の生活、文化を取り入れるときは必ず何か手を加えなければならない。そうすることで、古代からの日本特有の、日本人の考え方や生き様に基づく力を要所要所で発揮し、大変効き目はあるがそれに伴う毒性をも併せ持つ扱いにくい薬草を日本のやり方で調合してゆくことが大切なのである。(総合化の主題)

   講評   nara

 今回の話に関係する、おもしろい書評を見つけたので紹介しておくね。宮崎哲弥氏が『神の発見』(五木寛之・森一弘共著)について書いたものの一節で「欧米では宗教は、法や政治の『原理』としてあるのだ。デモクラシーをはじめ、憲法、人権など西洋から輸入した装置をうまく使いこなせていない理由は、結局、基本が身に付いていないからではないか。」というところ。長文およびノンキィさんの作文の最後にあるように、「日本のやり方」を生み出さなければ、所詮借り物で終わってしまうということだね。借り物も、うまく使えればいいのだけれど、往々にしてマイナスの方が大きく影響を残してしまいがちだ。「自分似合うもの」を作り出すためには、まずは自分とは何ぞやという確認を今一度しっかりやらなければならないのだろうなぁ。
 二つの意見は、それぞれ端的に例を示すことができているし、まとめも重厚に仕上げられた。「市民って!?」という読後の漠然とした印象が、文章を書くことで絞りこまれまとまってきたという、いい取り組みだね。
 この作文はこれでよしとして、参考までに、「外国からの思想・文化」との付き合い方を、鎖国以前・鎖国期・明治〜昭和・戦前・戦後と、時代による違いを比較検証してみるとおもしろいと思うよ。終戦までは、それぞれ方向性の違いがあるものの「こうすべし」という確信があるように感じるのだけれど、戦後の欧米崇拝については、足元の揺らぎがあるようにも思える。第2次大戦での敗戦が日本に与えたダメージは、物心ともに大きなものがあったということが、改めて思い知らされるね。
 今月の清書は、この作文にしよう。素材語彙の点数の関係でリストには載らなかったけれど、点数としては9月の学年ベスト5に伍しているものね。今回の清書では、この作文を6〜800字程度に要約してごらん。もしうまく仕上がったら、新聞投稿も検討してみてね、

毎月の学年別「森リン大賞」作品集森リンの丘 
 自動採点ソフト「森リン」で上位になった作文を掲載しています。
 しかし、子供たちの実力はそれぞれ個性的です。上手に書けている子の作文を見せて、自分の子供の作文と比較しないようにお願いします。

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