国語読解力は、あらゆる学力の基礎。問題集読書の復読と、読解検定の自主解説で確実に力がつく
国語読解力は、あらゆる学力の基礎。問題集読書の復読と、読解検定の自主解説で確実に力がつく。

昨日3224 今日1850 合計57410
作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

小学1・2年生   小学3・4年生   小学5・6年生   中学1・2・3年生   高校1・2・3年生

   障害者と健常者   うちら

 なぜ「障害者」という言葉は差別用語ではないのだろう。「健常者」ではない者として、切り離して考えること自体が、差別の始まりなのではないか。特別な存在として、保護する。かわいそうだから親切にしてあげる。すべて、障害者を下等の者として見下しているからこそ生まれる考え方なのではないか。
 確かに障害者には健常者とは違うところが多々ある。急いでるときに車椅子の人がバスに乗ってくればイライラするし、英単語を覚えているときに知的障害の人に話し掛けられればキレたくもなる。しかしそれは当然の感情で、差別ではない、というのが私の自論だ。同じように、隣に汗臭いおじさんが座れば思わず立ちたくなるし、強引に話し掛けてくるおばさんにはイライラする。なぜ相手が障害者だというだけで、何でもかんでも差別になってしまうのだろう。要は心の持ちようだと思う。差別だと思えば差別だし、そうではないと思えばそうではない。重要なのは、障害者を「特別な目」で見ないこと。自分との間に壁を作らないこと。お年寄りに自然と席を譲るように、障害者を当然の存在として受け入れる、そんな社会になって欲しい。
 しかし、私たち健全者だけが変わればよいわけではない。こんなことを言ったら多くの非難を浴びるだろうけど、障害者のほうからも壁をなくさねばならない。そのためには障害者自身が「自分は特別だ、可愛そうだ」と思っていてはいけない。東京大学のオープンキャンパスに行ったとき、障害者の人が話しているのを通りすがりに耳にした。「自分は障害があるけれど、頑張って東京で一人暮しをしている。だからもっと多くの人の助けが必要だ。この大都会で障害者が一人で暮らすのは大変なのだ」と。私はこの言葉を聞いて、深い憤りを感じずにはいられなかった。その気持ちこそが、差別を招く一番の原因なのだ。確かに東京での一人暮らしは大変だろう。しかし、「頑張ってるのだ」と主張するのは見当違いなのではないか。「自分は弱者だ」と障害者自身が思っていては、どうしようもない。何も変わるはずがない。
 確かに、健常者にも障害者にも改善すべき点は多々ある。しかし、今の社会に最も欠けているのは、「障害者と健常者の出会いの場」だと思う。それも、対等な人間同士として向き合う機会。現在の日本では、特に福祉に関心がない限り、出会いの場はほとんどないし、あったとしても差別を招くようなものでしかない。私の父はいわゆる「障害者」で、脳性マヒ者協会の会長として、障害者運動をしている。私は、生まれたときから父を見てきたので、差別の気持ちなど感じたこともない。父を一人の人間として尊敬している。別に障害者を何とも思わない。可愛そうだとも思わなければ、特別だとも思わない、という意味だ。対等であるがゆえ、街でも自然に手が貸せる。ユージーンが障害者にとって住みやすい街なのは、健常者が親切だからではない。障害者との日常での関わりが多いがゆえ、それを当たり前の者として皆受け入れているからなのだ。日本にも早くユージーンのような街になって欲しい。そこで大事なことは、障害者に親切にすることでもなければ、助けることでもない。現代の日本人が持っている障害者に対する固定観念を、一刻も早く取り除くことだ、と私は思う。

   講評   nane


毎月の学年別「森リン大賞」作品集森リンの丘 
 自動採点ソフト「森リン」で上位になった作文を掲載しています。
 しかし、子供たちの実力はそれぞれ個性的です。上手に書けている子の作文を見せて、自分の子供の作文と比較しないようにお願いします。

作文教室受講案内   無料体験学習   作文講師資格 
Online作文教室 言葉の森  「特定商取引に関する法律」に基づく表示」  「プライバシーポリシー」 
お電話によるお問合せは、0120-22-3987(平日9:00-19:30)