国語読解力は、あらゆる学力の基礎。問題集読書の復読と、読解検定の自主解説で確実に力がつく
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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

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   視覚系は   10人隊隊長

役に立ちたい。
視覚系は、光を介し物の形を認知する。
しかし、形は触ってもわかる。
また、聴覚も形の認識に無関係とはいえない。コウモリは、超音波により餌を捕らえ、障害物を避けるため、「耳で見ている」といえる。
しかし、物はどこにあるのか?形は物のほうにある。よって、形は物の属性だともいえる。もちろんそうではあるが、見えなくても物は触ればある程度の形はわかる。
もう一つの見方では、形は頭の中にあるため、触ればわかるが、それでも1回触っただけでわからないものもある。形を知るには、脳があらためて形を構成しなければならない。目にも同じ事がいえる。われわれが、形と称するものを相手に押し付けているだけである。
この2つを比べると、どちらが正しいかこの問題は、考慮する問題があるため、話が面倒になる。
大きさを知るという事は、人は単純にはできないため、ものさしで絶対値のわからない大きさをはかるのである。
それを幾何学に持ちこむと、「比例」か、「相似」になる。形は同じだが、大きさはどっちでもいいという性質は、視覚系の性質である。
しかし視覚系は、絶対座標を持ちこむようには進化しなかった。いちいち座標を決めれば、計算量が膨大になるため、人間の脳は、大きな脳になっていたかもしれない。
逆に、われわれの目が「比例」や、「相似」を、考える事ができるのは、視覚系にそういう性質が存在するからである
もし形が1回触っただけでわかったとしても、それが形を変えることができたら、1回触ってもまたすぐに形を変えてしまうので、形がわからなくなってしまう。
また、1回触っただけでわからなかったとしても、2度、3度別の場所に触れれば、形がわかってくるかもしれない。
寄ってこれらの事から考えて、物は何度も繰り返してさわるべきなのではないかと思う
日常でも、自分が何をするのかわからない時、いろいろなことをかんがえ、1番やりやすい事をやるのべきなのではないかと思う。
自分が、今何をするべきなのかは、自分が1番良く知っている。そのとき、そのときに応じて、臨機応変にものごとをかんがえていくべきなのではないかと思う。
この経験は、ぼくにもはてはめることができる。
しかし、なかなかその場に応じた事ができないので、しかられてばかりいる。だが、これからも臨機応変に動き、しかられないように役に立っていきたいと思う。

   講評   kira


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 しかし、子供たちの実力はそれぞれ個性的です。上手に書けている子の作文を見せて、自分の子供の作文と比較しないようにお願いします。

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