低学年から学力の基礎を作る
作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)
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自由の扱い方 はるる
人間はいつも自由を追い求めてきた。むしろここ何百年の人間の動きは、自由の獲得のための活動であったと言っても良いかもしれない。人類最高の幸福であり、最終目標であるのがまさに自由だったのだ。日本人も長い歳月をかけて、現代になりやっと個々の自由を獲得することができた。少なくない人がそれを歓迎しただろうが、完全なる自由は私たちにそれまでは存在しなかった、自己実現へのプレッシャーを与えることになった。自由ゆえに、簡単な妥協を許さない実力社会が私たちを常に苦しめる。それに耐えられなくなった人々が、将来安易な自己表現に陥るといったことが問題になると思う。
その第一の対策は、自分が生きているという実感を与える教育を行うことである。多くの人が、自由があればある程人は活力を得て自己の実現のために邁進するであろう、と思うかもしれない。だが現実はその反対で、人は束縛されるものがなければないほど活力を失うものである。忙しい時の方が、かえって暇な時よりも体が良く動くという経験は誰しもあるのではないだろうか。そして人が活力を失うということは、生命感が希薄になるということである。生命感が希薄になると、簡単に人を傷つけようとするし、周囲に流されるような人間になりやすい。その結果、自分では自己表現をしていると思い込んでいても、ただ周りに合わせて騒いでいるだけになってしまう。
第二の対策は、表現できる場を社会が提供することである。現代では表現したくても、表現する場がないというのが実情である。誰にも強制されずに、自らが進んで何かを開拓するというとが現代人には必要である。
確かに自由は扱いが難しいもので、一歩間違えれば大失敗を犯しかねない。けれども、本来自由は良いものである。極端に言えば、成功しようが失敗しようがそれは個人の勝手なのである。自由に疲れてしまうのではなくて、自由を多いに楽しむことが真の自己表現、ひいては自己実現を達成するのではないかと思う。自己実現へのプレッシャーを、私たちは知らず知らずの内に自ら背負い込んでいるだけなのかもしれない。人類にとっての最大目標は自由獲得だったのかもしれないが、私たちひとりひとりの最終目標は個々によって違って当然なのだ。
講評 sugi
自由という人類にとっての大きな目標を、現代の日本では達成したかのように見えるね。どんな職業に就き、どんな人生を送るのも個人の自由。生まれながらにして生き方が定められていた時代から見ると、すばらしい世の中のはずだけれど、また新たな問題が生まれようとしている。現代社会の落とし穴のような、この問題について、今回もよく考えてまとめてくれました。
「人は束縛されるものがなければないほど活力を失うものである」という話、よくわかりますよ! 大きく捉えれば、人生における選択肢が自由に広がっているということはすばらしいことであっても、今現在の自分の生活が自由で何をしてもよいという状態は、人間にとっては実は好ましくないのだね。本来、すばらしいものである自由を、どう扱い、どう生かしていくか。自由の扱い方に関してはまだ私たちは未熟なのかもしれないなあ。
長文には、「自由な社会は限度のない自己実現を要求される社会であり、高い自己実現への焦りや、逆に自由からの逃走を生み出してしまう。」とあるね。その抜本的解決法として、「自己表現」を挙げているところをもう一度確認してみましょう。筆者が、自己実現、自己表現という言葉をどんな意味で使っているか、読み返してみるといい勉強になりそうです。
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